無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10482日

 わし等の家族が親と同居をしたのは、長女が小学校2年生、長男が幼稚園年中、二男が2歳の時だった。親が住んでいた家を壊してそこに新築したんだが、それまで住んでいた、土地と家を売ったうえに借金して2所帯住宅を建てた。親の考えでは、本来この土地は兄夫婦のものにする予定だったようだが、こちらに帰ってくる予定も無いし、親もだんだん弱って来て、自信が無くなって来たのか、孫と一緒に住みたいと思うようになったのかわからないが、時々同居の話をするようになった。

 わし等も、子供等が高校生になった時に、毎月何万円もかけて電車通学することを考えると、今のうちに、旧市内にある親の家に移っておくのもいいのかなと、打算的な考えもあった。しかし、わしは同居はできれば避けたい、というのが本音だった。特におふくろは、女房に厳しいところがあり、負担がかかるのではないかと心配した。兄夫婦に対する遠慮もあったんだろう、親も迷っていたようで、なかなか結論が出なかった。

 結局最後は、お互いが元気な間は、なるべく干渉しないということで、上下完全分離の2所帯、トイレ、台所、風呂も全て2つ作るという事で話はすすんだ。その分費用はかかったが、これが正解だった。おふくろが肺がんで寝込むまで十数年間、ほどほどに接触しながらうまくやっていくことができた。孫もたいそうかわいがってもらったし、同居の成功例に入ると思う。

 ただ、わしら夫婦は同居するに当たって、約束した事があった。それは子供の前で親の批判や悪口は絶対言わないということだった。同居していれば、大人同士ではいろいろあるのは仕方が無いが、子供等にそんな情報はいらない。子供等に取っては、いつもやさしい、じいちゃんばあちゃんであって欲しかった。同居することによって、わしらも親父やおふくろに助けてもらったこともあったし、子供等はほんとうにかわいがってくれた。また、子供等もじいちゃんばあちゃんのいうことは何でも聞いて、やさしかった。果たして自分が、孫とあれほど仲のいい関係になれるのかどうか、自信が無いな。

 女房は、ちょっと実家に帰るだけでも嫌みを言われたり、嫌な事もたくさんあったようだが、それを全て受け止めて辛抱していた。そのことはおふくろにもわかっていて、有り難く思っていたんだろう。肺がんになって、何もできなくなった時、死ぬまで、女房を頼り切っていたし、女房も頼ってくれて嬉しいと話していた。本当はお互いよく理解し合っていたのかもしれない。最後は「これからも仲良くしてね。」と言って亡くなった。