無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10480日

 寿命のきた人が、家で死ぬためには、絶対救急車を呼んではいけない、と言われているが、これはその通りで、一旦病院へ運ばれたら、医者は生かすための治療を行ってしまう。これによって助かって、社会生活が普通にできるようになるなら、それは価値のあることだが、そうでない場合、老衰で、或は闘病で寿命が尽きつつあるなら、静かにそれを待つという選択が正しいと、わしは思っている。

 しかし、言うのは簡単だが、実際にその場に立ち会って、自分が決断を下さなければならなくなったら、それは非常に困難なことだ。死に行く人に多少とも意識があり、自分でこのままでいいと意思表示をしてもらえればいいが、そういうことは稀だろう。それでも、どうしても決断しなければならないとしたら、今まで治療にあたってきた、医者や医療内容への信頼が、大きく影響するのではないだろうか。

 正月を家で過ごした親父は、9日に施設の車で帰って行ったが、19日に危篤状態になり、大急ぎで、わしと女房は施設に駆けつけた。部屋には、かかりつけ医ということで、いつも薬を貰っていた開業医が来ていたが、何をするでもなく見ているだけだ。この開業医はいつも大量の薬を出すだけで、往診に来た事も無いので、今の状況もわかってないようだった。親父は半分死にかけてしるし、どうするんだと医者のほうを見ると、「今日は日赤なので、救急車を呼びますか。」と言った。

 わしはその時、こんな医者に最期を診てもらうんでは、親父が可哀相だと思い、すぐに救急車を呼んでもらって、日赤に入院することになった。その老人ホームは、看取り対応可能ということを、うたい文句にしてはいたが、実際にはお寒い限りで、とてもそんなレベルの状態ではなかった。案外こんなのが多いんじゃないのかな。日赤では、薬を大量に飲んでいるので、まず一週間でそれを全部抜くと説明されたから、不必要な薬を処方されていたんだろう。

 わしは、これで親父が元のようになるとは思わなかった。そんなに長くはないことはわかっていたが、せめて正月の段階までは戻してほしいと思っていた。結局それもかなわず、悪くなる一方で、2ヶ月程すると、これ以上治療方法は無いと言われ、ホスピスに転院を勧められた。そしておふくろと同じホスピスで最期を迎えたんだが、ここでの最期はわしと女房で決断して、点滴をはずしてもらった。迷いはあったが、やれることは全部やってもらったという安心感というのか、それは自己満足かもしれないが、眠っている親父に「とうちゃん、もうよかろ。」と心のなかで話しかけていた。

 かかりつけ医がきちんと医療行為をしていて、日常わしらとも意思疎通があれば、おそらく入院する事無く、3ヶ月苦しむ事も無く、あの場所で親父は最期を迎えていた事だろう。