無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10479日

 今日は長女一家と長男一家がやってきて、朝からてんてこ舞いだった。1階には犬の小太郎、花子がいる関係で、子供等は2階の玄関から入ってくる。この『はなこたろうバリア』によって、小さい子は1階へはやって来ないので、ここがわしの逃げ場所にもなっている。しかし、わしもこの騒乱状態に、少しでも慣れなくてはいかんと思い、最近は、孫達が来ている間は、なるべく2階で過ごすようにしているが、なかなか難しい。

 長男は仕事のため来るのが遅くなったし、長女の旦那は仕事に出かけたので、家にいたのは女房、長女、長男嫁、孫4人だけで、このメンバーでは、わしも話の間が持たない。間が持たないと言うより、わしが話について行けない、と言ったほうが正しいかもしれんな。いつのまにか蚊帳の外にいる自分に気が付いてしまう。幼稚園年中と年少の2人は仲がいいので、2人ではしゃいでいる。それに1歳と2歳の2人が、まとわりついて、わしには手の施し用がない。

 かといって、女だけの会話の中にはいっていくほど、話し好きでもないし、結局、スマートフォンで、まとめサイトでも見ながら、時間をつぶすしかないということになる。そのうちに、わしの存在が空気のようになった頃を見計らって、すっと1階へ降りて行って、犬と遊ぶというのが通常のパターンだ。

 昼食後、1階でうとうとしていたら、女房が、晩ご飯の支度をするといってやって来た。おふくろや、女房がそうであったように、一般的には、実家に帰った時には、嫁とか、娘とかが、そういうことはやるものだと思っていたが、うちはそういう風にはなってない。今日も女房に、娘等にやってくれと言えばいいのにと言った所、そう思うんなら、自分でそのように言ってくれと言われてしまった。そんなこと、わしに言えといっても無理な相談だ。じじいは嫌われたくないからな。

 その代わりという訳ではないが、おかずはもつ鍋と天ぷらだというので、わしが天ぷらを揚げることになった。フライとか天ぷらとか、油を使うのを嫌がる人もいるようだが、わしは嫌ではない。リフォームしてIHになったので、火を使わなくなり、暑くないし、温度設定が楽になったということもある。

 エビ、貝柱、カボチャ、大葉、しいたけ、ピーマン、きれいに揚がって、評判は良かった。それでも一番旨かったのは、今日釣って水揚げされた、かつをの刺身だったかな。これはうまい。