無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10477日

 早朝、雨だったので、女房を車で職場まで送って行った。帰ってから、いつもの掃除を始めた頃には雨もあがり、外も少し明るくなってきた。するとどこからか、あのシャンシャンシャンというクマゼミの声が聞こえてきた。これは今年初めての鳴き声だと思い、去年の手帳をめくってみると、クマゼミの初鳴きは7月14日だった。今年は4日遅れている。今ではクマゼミなんか掃いて捨てる程いるが、わしらが子供の頃は、めってにその姿を見る事さえ出来ない位、貴重な存在だった。

 子供の頃、兄が蝶の採集が好きで、大きな網や、三角ケース、三角紙等を持って、親父のオートバイの後ろに乗って、あちこち出かけていた。取って来た蝶を、展翅台の上で羽を広げて、ピンで固定して、暫く置いておくと、きれいに形が整ってくる。それを箱に整理していくんだが、アゲハ、キアゲハ、アオスジアゲハ、アカタテハオオムラサキコムラサキ、シジミチョウ、みんな奇麗だった。兄の作った標本を見て、わしも蝶に関しては少し詳しくなったもんだ。

 昆虫採集というのも、今は廃れてしまっているようだが、昔は夏休みの宿題なんかで普通に行われていた。今でも子供がやるのは別に何とも思わないが、専門家でもないのに、大人になってやるのはちょっと抵抗がある。そう感じるのは、中学生の時、親をごまかして見に行った、あの『コレクター』という映画の影響かもしれんな。これは当時話題になって居た映画だが、女性に興味を持ち出したガキが、助平心一杯で見に行ったら、ちょっと違っていた、という感じだった。子供だけで入れたんだから18禁ではなかったようだが、暴力シーンもあるし、今なら無理だろうな。

 わしも子供の頃はなんともなかったが、大人になると蜘蛛、ゴキブリ等昆虫はだめだ。昔、職場に、旦那さんが蜘蛛の研究者だという人がいた。夜になると白い壁面一杯に蜘蛛の写真を映し出すので、気持ちが悪いと言っていたが、わしなんかは、そんな生活には耐えられないだろう。メーテルリンクの昆虫三部作「蟻の生活」「白蟻の生活」「蜜蜂の生活」なんかを見ていると、その得体の知れない、面白さもあるが、わしにとっては、知れば知るほど気持ちが悪いのが昆虫の世界だ。しかし、これが貴重なタンパク源になるかもしれないのだから、蜘蛛の研究、ゴキブリの研究、蟻の研究等、あだやおろそかには出来ない、ということなんだろう。