無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10469日

 わしらが小学生の頃は、近所の文房具屋に行くと、幅10cm、長さ40cmくらいの紙の袋に入った、模型飛行機の製作用キットが売られていて、たくさんの子供達が群がっていた。飛行機にはそれぞれ名前がついていて、袋の上に、飛行機が出来上がって飛んでいる絵と、その名前が奇麗なカラーで印刷されていたので、それを見ているだけでも楽しかったのを覚えている。東京号とか、ライトプレーンとか、メーカーも子供が喜びそうな名前をつけだんだろうが、この東京号というのが、よく飛ぶと評判で、当時の一番人気だった。幾らしたのがはっきりは覚えてないが、100円はしてなかったような気がする。あと10836日に書いた、フラフープよりは安かったはずだ。

 袋をあけると、必要な長さの竹ひご、竹ひごを繋ぐためのニュウム管、プロペラ、動力用のゴム、ゴムとプロペラを繋ぐ金属棒、羽に強度を持たせるための薄い板、羽を胴体に固定するための木の台、胴体になる長さ40cm、1cm角くらいの木の棒、それに実寸大の図面が入っていた。初期の頃は、翼先端の曲線部分は、真っすぐな竹ひごを、図面の曲線に合わせてながら、蝋燭の火で熱しながら曲げていたんだが、途中から、あらかじめ曲げられたものが入っているようになった。

 小さな子供にとっては、決して簡単なものではなかったが、当時の子供には大人気で、冬の田んぼや、ちょっとした広場、校庭なんかで、みんなが飛ばしていた。接着剤もセメダインしかなくて、これがなかなか固まらない。待ちきれなくて半乾きで飛ばして、すぐに壊したこともあった。わしの作ったのは、よく飛んだという記憶は無いが、兄貴が作ったのは、なぜかよく飛んだ。兄貴は運動でも工作でも、勉強でも、何でも小器用にこなしていたんだが、如何せんそれ以上努力をしないので、思った程伸びなかったな。まあ、わしも人の事は言えんが。

 そういえば、小学校2年の時、親父が、鳥取出張の土産で買ってくれた、模型飛行機を作って、飛ばした時の事を書いた詩で、校内コンクール特選を貰ったことがあった。ただ、わしの書いた詩は、最後が『飛行機を飛ばした。』で終わっていたのに、担任の三好先生が『2階の屋根まで飛んだ、2階でかあちゃんが見ていた。』という2行を加えてくれた。三好先生は、いつもうちの横を通って通勤していたので、うちが2階だということも、知っていたんだろう。おそらく、その最後の2行が効いたんだろうな。