無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10467日

 昭和47年の終わりの頃、丁度ハイセイコーブームで、あちこちに、にわか競馬ファンが誕生していた。わしもその中の1人で、場外馬券場へ行って、せっせと馬券を買っていた。ハイセイコー単勝オッズが1というのがあったから、其の時は全員が買ったんだろうな。誰でも儲けてやろうと思って、馬券を買うんだが、ほとんどが負けているのが現実で、わしも勝った記憶は、たった一度だけで、あとは覚えてないから、負けていたんだろう。

 そのたった一度の勝ちというのが、まさに劇的な勝ちで、競馬なんか、予想も何も関係なく、サイコロを振ってでも勝てるのではないかと、思わしめるような勝ち方だった。昭和47年10月、わしは、練習船北斗丸で航海実習中だった。沖縄に行く前に神戸港に入港して、一日休みがあったので、友人と上陸したが、その時、わしは500円しか持ってなかった。外で飯を食べたらそれで終わりだ。せっかく沖縄に行くのに、遊ぶ金もない、親に送金してもらう時間もないし、どうしようかと、元町あたりを歩いていた時に、ふと眼に入ったのが、場外馬券売り場だった。

 それを見て、これしかないな、と思った。船に居れば、金は無くても飯は食える。いちかばちかやってみるかと、500円を持って乗り込んだ。ちょうど貴船特別が、後1時間程で出走になっていた。単勝一発で決めようと思ったが、やはりどんな馬が走っているか、くらいは知りたい。しかし、ここでスポーツ紙を買えば資金が減る。幸いな事に、わしは視力がよかったので、隣の椅子に座って居る人が見ている、スポーツ紙を盗み見ることにした。

 小さいので判りにくいが、何とか一番人気の『B』の馬番が8のように見えたので、8番を単勝で500円分購入した。いよいよレースが始まった。しかし、実況を聴いていると、わしが買った『B』という名の馬は、馬群にのまれて7位か8位に沈んでしまった。暫くして、がっくりとうつむいたわしの耳に、「単勝8番配当金○○円」という思いもかけない放送が聞こえて来た。えっ、勝ったの?とあわてて掲示板を見ると、たしかに優勝は8番だが、わしの買った8番とは馬の名前が違う。一瞬きつねにつままれたような気がしたな。

 しばらく掲示板を眺めているうちにやっと原因がわかった。なんと馬番と枠番とを見間違えて買っていたようだ。わしが馬番8だと思って買った『B』はじつは枠番が8で、馬番は12だった。そして本当の馬番8の馬が優勝したことで、8で買っていたわしの馬券が当たったということだ。怪我の功名とはいえ、これで数千円儲かり、沖縄で観光バスにも乗ることができた。小さい記事で、遠くから判りにくかったことが、かえって幸いしたということかもしれんが、こんな旨い話は二度と無かったな。