無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10464日

 わしは今までに一度だけ、病院に行ったとき、医者から「いらっしゃいませ。」と、あいさつをされたことがある。その時はわしも相当びっくりしたが、その後、時がたつに連れて、あの時の出来事が、本当にあったのかどうか、いろいろ疑問に感じるようになった。

 あれはわしが30歳くらいで、まだ東京に住んでいた時だった。一週間ほど前から眼が痒くなり、目やにが出るようになった。昼間は治っても、夜寝ているうちに、痒いからかくんだろう、朝起きると目やにで眼が開かない。これでは仕事にも差し支えるので、近所に眼科があればと思って探してみたが、見つからない。その時、東京に開業医が少ない事に初めて気が付いた。

 当時、勤務先が丸ノ内線本郷3丁目の近くにあったので、さすがにその周辺で探せばあるだろうと思い、職場の人に聞いてみたが、誰も知らない。東大病院が近いので、そこに行けばと言われたが、目やにが出るくらいで大学病院はないだろう。仕方がないので、昼休みに歩いて探してみることにした。当時、あの辺りは狭い路地が多くて、どこを歩いているのかわからなくなることがあった。今のようにGPSがあればいいんだが、2〜30分の時間内に効率的に回るのは、結構骨が折れた。

 探し始めて2日目のことだった。ふと、右側に古い家があることに気が付いたので、何気なくそちらを見ると、少し奥まった所にあるガラス戸に、消えかけたような字で○○眼科と書いてある。他には看板も何も無い、普通の民家だ。例えていうと、トトロに出て来るあの洋館のような感じかな。まるで計ったように、わしの前に現れた眼科医院なんだが、道路わきの庭も、手入れがされてないし、これは何かに騙されているんじゃないかと、俄には信じられなかった。

 玄関を開けて入っていったが、人の気配が全く感じられない。わしは大声で「こんにちは。」と2〜3回声をかけた。すると奥の方から誰かが歩いて来る、スリッパの音が聞こえた。現れたのは、大きな黒猫を抱いた、白髪の上品なおばあさんだった。そして突然「いらっしゃいませ。」と言われた。そしてもう一度小さな声で「いらっしゃいませ。」とつぶやいて、自分で首を捻って、はにかんだように笑ったので、自分でもちょっとおかしいことに気が付いたんだろう。ここが病院だと言う事を、普段は忘れていたのかもしれない。

 見た所、待合室も使われた形跡がなかった。その猫を抱いたおばあさんが、症状を聞いたので、それを伝えると、左側にあった診察室に案内されて、椅子に座るよう促された。「暫くお待ちください。」と言って、おばあさんは猫を抱いたまま部屋から出て行った。周囲を見ると、手を洗う消毒液が入っているはずの、白い洗面器もカラカラに干涸びているし、椅子にも埃がたまっている。何か宮沢賢治の不思議な世界に迷い込んだようで、これから何が始まるのか、不安というより楽しくなってきた。

 暫く待っていると、さきほどのおばあさんが、白衣を着てやってきた。今度は猫は抱いていなかった。わしはてっきり、この人は医者の奥さんか、母親だとばかり思っていたので、この人が医者かとちょっと驚いた。その後は、水道で手を洗って普通に診察し、アレルギー性結膜炎の薬を出してくれたので、やっと病院らしくなって来た。しかし、建物内は相変らず人の気配もないし、静まり返っている。患者も来ないんだろうなと思いつつ、お礼を言って病院を後にした。

 その後、もう一度薬を貰おうと思って、その病院を探したが、不思議な事に、どこをどう歩いたか、どうしても思い出せなかった。診察して薬を出してくれんたんだから、確かにあったはずだが、見つけることができなかった。いらっしゃいませと言った後で、はにかんだように笑った、あの上品な、黒猫を抱いたおばあさんは、本当にいたんだろうか、あの病院は本当にあったんだろうかと、今でも時々思い出す。