無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10457日

 台風5号がやって来ると言うので、大雨、洪水、強風、高波警報や注意報が朝から出ていたが、大したことはなかった。昼過ぎには全部解除されたから、果たしてどれほどの雨が降ったのか、そちらのほうが気になる。瀬戸内に面したこの辺りは、昔から雨が少なく、台風が来て、雨を降らしてくれなければ、渇水の夏になるので、台風は、適度に来てもらわなければ困る、いわばお客さんであるともいえる存在だ。

 今でこそ気象衛星で、その位置は常に確認できるが、昔はリアルタイムではなかなか判らなかった。航海中の船舶からの情報や、1000トン足らずの、海上保安庁の定点観測船が、台風の中に突っ込んで観測した情報なんかを元にしていたんだから、それこそ命がけだった。それに比べると、居ながらにしてすべての気象情報を収集できるんだから、今は楽になったもんだ。

 気象予報士などという資格ができて、誰でも業として気象予報ができるようになったが、これだけ気象情報があふれているんだから、少し知識があれば、テレビでやっているくらいのことは、別に説明してもらわなくても、わかる人も多いだろう。わしが中学生の頃、毎日、自転車でその前を通って通学していた、地方気象台の予報課長のSさんという人は、わしの知合いのYさんの友人の父親だった。別にそのSさんに責任があるわけでは無いが、当時は気象予報は当たらないというのが一般的だった。Yさんの話によると、Sさん自身が、気象予報は当たらないと話していたそうだから、やはり当たらなかったんだろう。

 

tysat1103.hatenablog.jp

 わしの伯父も陸軍軍属として、終戦まで千島列島占守島で気象観測をしていた。大きくなって、伯父からこの話を聞いたときに、このSさんの話を思い出して、予報が当たっていたのかどうか聞いてみた。即座に返ってきた返事が「当たらんよ。」だったから、当たらなかったんだろう。伯父にしても、Sさんにしても、当たらなかったのは、知識が無かったからではなく、得られた情報が少なかっただけで、今と同じ情報を与えられたら、今よりもっと正確な予報ができたとわしは思う。全ては科学技術の進歩によって得られた成果であって、決して、それを利用する人間が賢くなったのではないということだろうな。

 熊本は去年の地震前まで、長年大きな災害が無いということで、安全を売り物にしていたらしいが、あんなことになってしまった。どう考えても、近くに阿蘇山があるんだから、安全とはいえないと思うんだが。実はわしの住んでいる辺りでも、長年、なぜか台風は避けて通るし、大きな地震も、10年位前に震度5強があっただけで、南海地震から70年以上経験してない。ひどい渇水はあったが、大雨も洪水も津波も無い。その結果、ここら辺りは災害に会わないという、根拠の無い安心感に包まれているが、熊本の例もあるし、もうちょっと、気持ちを引き締めたほうがいいのかもしれんな。