無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10454日

 いつの間にか、7日の七夕が過ぎていたことに、今日気が付いて、女房に話したら、何か用があったのかと聞かれた。そりゃあ、この歳になると、七夕だからといって、別に用はないが、それでも夜になって天の川を眺めるとか、織姫彦星を思って、昔の良い話を思い出すとか、いろいろあるだろうと言いかけたが、これは黙っといた。この辺りは旧暦でやるので、8月の夏休み中なので、昔は、その日の朝に、おふくろが近所の八百屋で買って来てくれた笹に、朝露で摺った墨で書いた短冊を吊るしていた。夜になると、朝のうちに作っておいたスイカ提灯や、なす提灯を持って、近所を歩き回ったりしたものだ。やはり七夕は旧暦でやるべきだろうな。

 わしは普通高校に一年だけ行って中退後、全寮制の船の学校に入学したので、一年生を2回やったことになる。中退というのは、当時はまだ珍しかったので、親も教師も、まるで人生の落伍者にでもなるかのように反対していた。高校中退は、わしの周囲には、誰も経験者がいないんだから、心配するのはしかたがないが、長い人生、たった1年遅れるだけと考えれば、どうということはないんだがな。ただ、前年に、一年生が寮内の暴力に耐えられず、全員脱柵して、ボートを漕いで家に逃げて帰るという事件があったもんで、その辺りも心配していたようだ。

 男女共学の普通高校が面白かったという人が多いが、わしは面倒くさかった。ちょっとかわいい子がいたらやはり気になるんだが、かと言って気軽に声をかけることもできない。これが出来る奴らが実は羨ましかったが、当時から硬派をきどっていた関係で、そういうことをするわけにもいかない。普通に好きなら好きと言っとけばいいのに、そういうことが割り切れるようになったのはずっと後になってならだったな。それに気が付いた時は、過去を後悔したもんだ。

 男だけの全寮制というのは、硬派には案外馴染みやすいもので、5年もいるうちには、いろいろ問題はあったにしても、入学当時は全く違和感はなかった。この島には県立高校があって、ここの女子生徒と付き合っている奴もたくさんいた。今はそんな事はないが、50年前は、わしらの学校の学生は、女子高生の憧れだった。卒業したらみんな外国航路の船長や機関長になって、高給取りになることはわかっていたからなんだろう。今から思えば、ここで女子高生とつきあっていたら、もっと楽しく学生生活を送れたんだろうが、愚かな事に、空手部の硬派には、今更そんな女々しいことは許されなかった。

 思い返してみれば、わしが硬派をやめたのは30歳くらいだったかな。このころになると、周りにいる女性も結婚適齢期の年代になり、案外もてるようになった。硬派をやめたからもてるようになったのか、もてるようになったので硬派をやめたのか、或は硬派に固執するあまり、昔からもてていたことに気が付かなかったのか、どれかだろう。しかし、つくずく思うんだが、ほんとうは女の子が好きなのに、興味ない振りをして、硬派をきどって30年、素直に生きてきたら、もっと楽しかったのにと、この点だけは心底、後悔している。人間、自分に素直に生きるのが一番だということだ。