無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10451日 死ぬということ

 お盆になると、亡くなった人達のことを思い出す。知った人が亡くなるということは辛い事だが、その中でも親の死というのは特別だ。親が死ぬということは、子供にとって、なかなか納得できないことで、特に小さな子供の間は、一番考えたくないことでもあった。小学校の時に、映画で見た『かあちゃんしぐのいやだ』とか『綴り方兄弟』とか、親が先に死ぬ話は、60年近くたった今でも、覚えている位だから、かなりのインパクトがあったんだろう。まあ、これも感じ方や記憶力の違いもあり、一緒に映画を見たはずの兄貴なんかは、全く覚えてないんだから、生きて行く上では、この方が気楽でいいのかもしれんな。

 うちの近くに、民家に囲まれて、墓石が3つ位建っている、小さな墓地がある。小さい頃、その横を通る度に、親が死んだらどうなるんだろうとか、自分も死んだら、親に会えるんだろうかとか、ひょっとしたら、あの世には何段階もあって、自分が死んだ時は、親はもう1つ上の段階にいってしまって、会えないんじゃないだろうかとか、いろいろ考えたことを覚えている。本当に親が死ぬなんてことは、恐ろしいことで、考えてもいけないことだった。

 少し親の存在が薄らいで来たのは、やはり結婚して、自分の子供が出来てからだった。自分の家族の存在は、いつかは親が死ぬという恐怖心を和らげてくれた。自分も人の親になることで、子供と親の関係から、或る面で、親と親の関係になるからなのか、少し客観的に見る事ができるようになったような気がする。その点兄貴は、子供ができなかったので、最後まで子供と親の関係を保ったままだった。特に最初の、おふくろの死は、恐らく、わし以上にショックだったと思う。

 今日のニュースに、「がん患者を持つ家族内の葛藤」に関する調査が行われたといういうのがあったが、おふくろが、肺がん余命3ヶ月と告げられてから始まった、9ヶ月の闘病の間、確かに葛藤があった。考え方の違いや、救えない事への苛立ちが、家族同士の関係をぎすぎすしたものに変えてしまうこともあった。おふくろが女房の肩を抱いて「これからも仲良くしてね。」と言ったのは、死の数日前で、何となく判ったのかも知れない、将に病室内の空気が淀んでいた時だった。

 特に、病人が生きたいと、もがいているのを見ているのはつらいものだ。しかし、一度、生への執念が断ち切れて、死への準備が完了してしまうと、人が変わったようになる。これには驚いた。死の間際にはそれがわかるんだろうが、出来る事ならもっと早く、元気なうちに死への準備を終わらせたい。そうすることが、残された家族への、最後の気遣いにもなるはずだ。

 さて、先ほど迎え火を焚いたから、そろそろ、親父やおふくろの霊が、帰ってきている頃だろう。16日の送り火までゆっくりしていってほしい。