無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10445日

 まず初めに、世の中いろんな考えの人がいるので、その考え方が、好き嫌いはあっても、正しいとか、間違っていると言うことはできない。ジェンダーフリーとか、フェミニズムなんていうものもあったし、男女雇用機会均等法などと法律までできて、男女平等を求めている。平等であることは当たり前だが、体力面からみても、男女差は存在するわけで、機会均等を求めるのは当然としても、結果平等を求めるのは行き過ぎだろうと思う。また、わしは女性を尊敬しているが、それは自分の女房や母親を見て来て、その生き方や考え方を尊敬しているので、それを否定する女性は、わしの中では、女性としての尊敬の対象にはならない。これはわしの自由だ。

 機会均等に関しては、このような例があった。男社会に女も入れますとばかり、わしが所属していたTタンカーという会社は、日本で初めて女性船乗りを採用した会社で、当時は先進的な取り組みとして、結構話題になっていた。わしが入社した頃は、中断していたが、酒を飲むと、当時のことを知っている、乗組員の話のネタになっていた。かなり話を盛っているとは思うが、あまり感心した内容では無かったな。

 中断したんだから、そりゃ、いろいろあったんだろう。まあ。船乗りと結婚してやめるという、所謂寿退社もあったようだから、それなりの役目は果たしたんだろうが、若い女性の職場としては、自分の娘には勧めないだろうな。仕事ができるとかできないとか言う問題ではない、極端な言い方をすれば、男社会でやっていこうと思ったら、男になる覚悟がいると、いうことではないのかな。

 今では専業主婦は、若い女性の憧れだとも言われているようだが、夫が高収入の仕事をしている人以外は、その生活は決して楽ではない。そりゃ2馬力で働いたほうが、収入も多いし、可処分所得が多い分、子供の教育や、遊びや消費にも金をかけることができるから、生活は遥かに楽だ。うちは女房が家庭の事をやりたいと、自らが専業主婦を選んだが、経済的な面からみたら、地方公務員だった女房が、そのまま働いていたら、もう一軒家が建っていただろう。

 わしはこの時も、女はすごいなあと感心した。自分の仕事のキャリアも、将来の収入もあっさり捨てて、家族や親の世話をするためだけに働くという決断は、男にはなかなかできない。いくら夫婦になったといっても、それだけ相手を信用できるかと自問すると、普通の男は躊躇うだろう。夫を信用して、わざわざ貧乏の道を選んで、文句も言わず、やりくりしながら、一生懸命3人の子供を育て、両親を最後まで見てくれたんだから、たいしたもんだと思う。わしなんかが逆立ちしても勝てる相手ではないんだろうな。