無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10444日

 世間的に立派な親というのは、だいたい仕事第一で、家庭のことは嫁にまかせきりというパターンが、多いのではないのかな。母子家庭に近いような状態だとしたら、子供も楽しくは無いだろう。うちの親なんかは、特に出世したわけでもない、普通の県職員として一生を終えたが、幸いなことに、親子4人で楽しい家庭だった。わしの周囲も、だいたい似た様な家庭だったな。

 それが、女房と結婚して初めて、家庭より仕事という人に出会う事になった。初めて女房の家に行ったとき、父親は出張だと言うので、何処に行っているのか尋ねると、それは知らないと言われた。「えっ、親子や夫婦の会話は無いのか。」と、これにはびっくりしたな。その後、話を聞いていると、夕食もほとんど家で食べないとか、最近ほとんど口をきいたことがないとか、こんな家庭もあるのかと、驚きの連続だった。

 いったいどんな人かと思っていたが、実際に会ってみると、真面目で正直を、絵に描いたような人で、かなりイメージとは違っていた。女房は、外面がいいと言っていたが、これには納得した。しかし、県庁の技術屋で、トップまで出世しただけあって、戦後、県が行った、トンネル、地滑り、ダム、橋梁、道路等、大きな土木事業のすべてに関わってきたらしい。結婚後、わしは酒を飲むたびに、それらの話をいろいろ聞かせてもらった。

 ところが、不思議な事に、女房も、兄弟も、3人の子供は、そんな話は聞いた事が無いらしい。女房に話すと、息子と婿とは違うのよと言っていたが、確かにそうかもしれんと思った。要するに親父が偉すぎるんだな。2人の息子は、おとなしくていい男なんだが、フランクに父親と話しているところを見た事がない。「家の中で、わしに文句言うのは娘だけだった。」と言っていたから、母親も含めて、後はみんなイエスマンだったんだろうな。

 わしはこの父親が好きだったし、かわいがってもらって、楽しかったんだが、家庭的ではなかった。最後は仕事に全精力を出し尽くして、病に倒れて亡くなったが、これは言ってみれば、殉職といえるだろう。建設省から誘われたり、出身大学の教授に誘われたりしたこともあったらしいが、県民のために働きたいといって断ったと聞いた。土木業者から、たくさんのお歳暮お中元が届けられていたが、絶対受け取らなかった。とにかく真面目で正直な人だった。

 自分の生き方をやり通して、豪快に生きたのは、すごいことだと思う。しかし、わしが、このような人生を、歩みたかったかと聞かれたら、答えはノーだな。やはり、家族と仲良く暮らしたい。楽しい事や悲しい事も、家族と共有して、子供の成長にも関わりたかった。大きな仕事ができなくても、社会の片隅で、足る事を知って、家族が幸せに暮らせたらそれで満足だった。こういう男には、ちょっと不満を感じていたのかもしれないが、それでも、女房を嫁にくれたんだから、父親も、少しはわしの生き方を、認めてくれたんだろうと、信じている。