無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10437日

 今日は、昨日までのような暑さを感じない。気温は33度で、ほとんど変らないんだが、あのめまいがするような暑さとは違って、少し日差しが柔らかくなったような気がする。日中、2階に上がっても、座っているだけで汗が吹き出してくるという、状況ではなくなってきた。確かに66回目の秋が近づいてきている。

 昨日長女一家が来て、夕食を食べて帰った。ここの2人の子供は元気で、季節の変わり目も関係ないが、長男の子供は喘息もちで、まだ、それほどひどくは無いが、これから先、この季節は辛い思いをするようになるんじゃないかと心配している。わしも3歳くらいから小児喘息で、秋の運動会は欠席が多かった。今はいい薬があるから、わしらの頃みたいに苦しむ事はないとは思うが、喘息が、子供にとっては大きな負担であることに変わりはない。

 二男一家からは、何も言ってこないので、それならうまくやっているんだろうと、思う事にしている。何歳になっても子供は子供で、心配の種が尽きることはない。年金は、雨が降ろうが槍が降ろうが、2ヶ月に一回振り込まれるので、生活には困らないと言ってはみても、経済的な支援をしてやるための、原資が無いというのは、ちょっと辛い面もある。まあ、金が無いことは、子供等はよく知っているので、全く期待はしてないとは思うが。

 親父は、当時は定年制がなかったので、県職員を55歳で辞めて、再就職、再々就職で働いた後、94歳まで生きたんだから、働いた期間より老後の方が長かった。従って、遺産と言ってもそんなには無かったんだが、親父は再婚で、他に子供が2人いた関係で、遺産分割協議はちょっと面倒だった。葬儀後、兄貴はさっさと帰ってしまったので、わしが相手との交渉を行うことになり、いろいろ嫌な思いもした。

 しかし、面白いもので、金が絡んだ話というのは、みんな自分に正直になる。こんな経験、誰もができるものではないから、いろんな人間模様をみせてもらって、いい勉強になったと言えるのかもしれない。それでも、全て完了したときは、どっと疲れが出たな。親父の遺産と言うのは、親父とおふくろが、爪に灯をともすようにして、貯めて来たもので、その形成過程に前妻や、その子供は何ら関与してないにも関わらず、法律で1/2の権利を持つということには、今でも釈然としないものがある。

 引き出しの中に、遺言状らしきものはあった。その中には、前妻の子供のことは、一言も書かれてなかった。日付が無かったので、正式な物ではないとはいえ、わしと兄貴に、全部残したいという親父の意志は、はっきり示されていた。しかし、これは見せなかった。もし、これを見せたら、向こうは、最後迄、自分の父親に捨てられたような気がして、親父を恨み続けるかもしれない。いずれにして折半するのなら、それが親父の気持ちだということにしておいたほうが、少しは親父に感謝するかもしれないと考えた。

 向こうも機嫌良く帰ったから、これでよかったんだろうと思っている。幸い、わしの子供等はこんな苦労をすることはないから、その点はわしも安心して死ねるかな。