無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10433日

 先日、最近わしが晩ご飯の準備をしなくなったと女房に言われたが、わしとしては、それにはちょっと承服しかねる。もともと、献立を自分で決める事はできないので、おかずは何を作るかを、前の日か、朝仕事に出る迄に決めといてくれるように、前から頼んでいるにもかかわらず、それをしない。献立を考えるのが面倒だというが、献立を考えるだけで、おかずが出来るんだから、楽なもんだろうと思うんだがな。

 それに女房は否定するが、味がどうのこうのとか、作り方がどうのこうのと、結構文句が多いような気もする。わしがそういうことを言おうもんなら即座に、嫌なら食べんでよろしいと言うのにな。この間、子供等が来るのでわしがカレーを作った時、牛肉が無かったので、代わりに冷蔵庫にあった手羽先を入れる事にした。刻んだにんじんと一緒に鍋に入れて、先に炒めていると、それはフライパンで焦げ目をつけないとおいしくないと言って、勝手にフライパンを用意しだした。

 そうかもしれないが、鍋でも焦げ目はつくし、第一、人に任せたのならくちばしを挟むなと言って蹴散らしといた。しかも出来上がった後で、味を整えるといって、何の断りも無く勝手にいろいろ足していたから、そんなにやりたいんなら、自分で全部やれよと言ってやったんだが、これは一例で、似た様なことは時々ある。しかし、いろいろ考えてみると、ここはやはり、わしが1人ではうまくできないから頼むと、教えを乞うという形にしたほうが、物事は円満に解決するのではないかという思いに至った。

 こういっては何だが、今時スマホクックパッドをみれば、調理方法、レシピは紹介されているので、やる気があればそんなに苦労する事なくできてしまう。一年半やっていると包丁の扱いも慣れて来て、下準備に時間もかからない。調理済みの冷凍食品が多いから尚更だ。油を使う料理だって全く苦にならない。ただ、献立を考えるのだけは無理だ。実はその理由の1つには、献立に文句言われて、結局最後は自分の主張を押し通されるのは嫌だという気持ちがあるのも事実だ。

 まあ、それはさておき、女房の職場に、料理の上手なひとがいて、去年その人に教えて貰った、ゴーヤを使った料理が簡単でうちでは大人気になっている。

べんりで酢と麺つゆを同量を加えたものを、蓋の出来る容器の底から3cmくらいまで入れる。

スーパーで1袋100円で売っている、さきいかをちぎってその中に入れる。

約7mmくらいの厚さに切って、さっと煮たゴーヤを、その中に入れる。

蓋をして冷蔵庫で一晩置く。

これは是非お勧めしたい。