無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10432日

 昨夜は前の勤務先の、労働組合ビールパーティーに呼ばれて行って来た。脱イデオロギーだが左翼は嫌い、労働条件の改善のみを目的とした弱小組合なんだが、実はこの組合はわしらが十数年前に立ち上げたもので、当時は結構大騒動になったもんだ。今は若い連中が世話をしていて、年に1回、わしらのようなOBにも声をかけてくれる。有り難いことだ。

 世の中に労働組合員はたくさんいるだろうが、ゼロから組合を立ち上げた経験を持つ人は少ないだろう。これは、人生経験としてはなかなか得難いものだが、わしもまだ40過ぎの若い衆で、無鉄砲なとこもあって、今から思えば、いろいろ人にも迷惑をかけてきたのではないかと反省もしている。女性も、赤ちゃんがおなかの中にいる間はまだ楽なほうで、生まれてからの方が大変だといわれるが、組合もそれと同じで、作るのは大変だが、ずっと維持して行く事はもっと大変なことだ。組合が続いている間は声をかけてくれるそうだから、若い人達に期待しとこう。

 ここのビアガーデンは、焼き肉が食べられし、バイキングも種類が多いということで人気があり、いつ行っても満席になっている。しかし、この日は珍しく空いているテーブルが2つあったから、31日になると、ビアガーデンのピークも過ぎているのかな。9時がきてお開きになり、昨日迄は無かった、秋を思わせるような気持ちのいい風を感じながら、彼方に見えるデパートの青く彩られた観覧車、その上に浮かんでいる上弦の月なんかを眺めていると、今年の夏も終わったなという思いがこみ上げて来た。夏の終わりというのは、なんとなく郷愁を誘うものだ。

 愛用の集文館3年手帳を見ると、去年のビアガーデンは8月25日になっていた。この頃は、7月22日に日本配信が開始された、ポケモンGOがすごいブームになっていた関係で、帰り道の公園はスマホを見ながら歩き回っている人で一杯だった。おかげで夜の公園の治安が良くなったという効果もあったらしい。

 今年はどうだろうと思って、同じ公園を通って歩いて帰ったんだが、あまり人は居なかった。わしの周囲でもポケモンGOは話題にもならないから、やっている人はほとんどいないんだろう。わしらも去年はスマホを見せ合ったりしたんだが、今回の12人の参加者の中で、今でもやっている人は1人だけだった。その人も高校3年の自分の子供に、まだやっているのかと笑われたらしいから、この情報化社会では爆発的人気も1年間維持できないということか。ついて行くのは難しい。