無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10425日

 人生やり直しがきかないとはいうけれども、やり直せることも結構多い。成長して自分で何でも選択できるようになれば、就職転職、結婚離婚、趣味や付き合いなどを通して、いろいろな環境を得ることもできる。しかし人生がスタートした頃、親は子供を選べないし子供も親を選べない。その後の十数年は親の影響下にあり、この大切な人間形成の時代はやり直せない。まさに出産子育て期間というのは、親子にとって最も楽しい時でもあり、また困難な時でもあると言えるだろう。

 子供らが小学生の頃、学校の雑誌に、子育てほど楽しいものはないと書いていた、天真爛漫なお母さんがいたが、わしはそれを読んで、そんなに楽しいか?とにわかには信じられなかった。この人も、子供がまだ小学生で、中学高校にあがってもそう言えたかどうか、聞いてみたい気もする。うちは、長女長男は二人ともいつの間にか大きくなっていた。わしが本当に親としての本気度というのか、親としての覚悟を求められたのは二男の時だった。

 わしは上の二人で人生をなめていたのかもしれない。本気で二男の困惑、悩み、怒りと対峙したとき、どうしたらいいのかわからなかった。その時になって初めて、いつまでも子供ではないということに気が付いた。因果応報ということかもしれんが、わしもよく親とは衝突していたから、子供のいらだちはわかるが、親としてそれに向き合うのは初めてだった。子供も正念場、親も正念場、待ったなしでぶっつけ本番の舞台に上げられたようなもので、何とかしてやらんといかんなと、その頃は夫婦の会話もそのことばかりだった。

 結局夫婦で決めたことは、何があっても辛抱して、とことん話を聞いて、変わるのを待とうということだった。犬の小太郎を飼ったのもその頃だった。小太郎という名前も二男がつけて可愛がっていた。ただ良かったことは、二男も家が好きで、家には必ず帰ってきていたことだった。こんな、子供らが帰りたくなる家庭を築いたのは主に女房の功績で、これには感謝している。

 いつも一緒にいる友達が5~6人いるらしいが、それがどんな子なのかが一番気がかりだったので、遊ぶんならうちで遊べと言って連れてこさせた。どんな子らが来るのかと思っていたら、みんな礼儀正しい、いい子なんでびっくりした。中には母子家庭の子とか、母親が再婚している子とか、つらい環境の子がいて、どうも二男が相談相手になっていたようだった。このような関係がわかってくるともう心配することはなくなった。はじめから言ってくれればいいのにと思ったが、わし初期対応が悪かったと反省もしている。

 わしは二男がいなかったら、親としては半人前で終わったと思う。二男がいたから、子供と向き合い、子供とともに成長できたと感謝している。女房は常々3人の子供の中で二男が一番やさしいと言っているが、わしもそう思う。