無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10419日

 11月4日におふくろの13回忌法要をするので、出欠を確認するために往復はがきを出すことにしている。というのも、みんな歳をとったので、電話連絡だけでは一抹の不安が残るということなんだが、じつは7月の本家の法事でこんなことがあった。坊さんも来て法要が始まったのに、88歳の叔母が来ないので、わしが電話で確認したら、叔母さん完全に忘れていた。本家の息子は法事があるということは電話で伝えていたが、2か月も前の電話連絡なんか、すぐにカレンダーに書き込まなければ、若い者でも忘れてしまう。88歳の年寄りならなおさらのことだ。

 そこで、こんなことが無いように、形で残るはがきを利用することにしたんだが、今日の午前中に、昨日届いたレーザープリンターを利用して、あっという間にできてしまった。さすがレーザープリンター、安いものでも十分役に立つ。テキスト印刷はこれに限るな。よく安物買いの銭失いと、馬鹿にされることがあるが、世の中、安くていいものは幾らでもある。

 安いと言えば、あのチープカシオと呼ばれている腕時計がある。ブランド志向の強い人なら、腕に巻いただけで卒倒してしまいそうな、まさに絵に描いたようなチープな時計だが、これがなかなかどうして、軽いし、よくできている。万が一壊れても、960円で買いかえればいいんだから、これほど気楽な時計は無い。この値段で正確な時刻を伝えるという、時計本来の役目はきちんと果たしているんだから、新しい価値観の創造ともいえるじゃないのかな。

 昔、新宿西口にヨドバシカメラができた頃、カウンターの後ろに、ニコン一眼レフカメラを山積みにして安売りを始めた。わしらはそれを見て度肝を抜かれたもんだ。それまでのカメラ屋といえば、店の奥の方から厳かに一台のカメラを持って来て、それを見せてくれるという感じだったが、バナナのたたき売りみたいにカメラを売るというスタイルには圧倒されたし、それによってカメラに対する価値観もだんだん変わっていったように思う。

 このように物にしても、売り方にしても、今までに無かった新しい価値観を創造して、一歩先を行く企業というのは、いつの時代でも生き残っていくんだろう。人の一生もこれと同じで、日々自分の中に新しい発見や、価値観の創造をするだけの、柔軟な思考が保てるなら、死ぬその日まで、本当に生きることができると思うんだが.....まあ、今日一日無事終わったということは、可能性への道はまだつながっていると信じて、今日のところは寝るとしよう。