無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10418日

 近所にある中学校で、今週になって毎日運動会の練習をやっているんだが、最近の中学校では、運動会をやるのにこれほど念を入れて練習するのかな。わしが中学生の頃も当然練習はしたが、何日も続くということは無かったような気がするんだが。運動会も走るのが早いやつや、やる気のあるやつはほんと楽しそうだったが、わしらみたいに、走るのもそれほど早くもないし、やる気もないやつにとっては、それほど楽しいものでもなかった。小学生の頃は小児喘息で、丁度気候の変わり目になるこの季節は休むことが多かったから、それもあったんだろう。

 わしが人並みの元気になったのは中学2年生くらいからで、高校中退して船の学校に行った頃は人並み以上に元気になっていた。ずっと短距離走は自信がなかったんだが、そこで陸上部のやつに、腿を上げて走るフォームを教えてもらったら随分早くなったし、8km走は1クラス40人中3位だったから、その頃になると、走ることは嫌ではなかった。ほんとに健康というものは有り難いものだと思ったな。

 この学校では、秋には武道大会というのがあったんだが、これは、危険すぎるという理由で、一回で中止になった。一応柔道の試合ということになってはいたが、出るのは腕に覚えのある柔道素人で、もちろん技は知らないし、受け身すらおぼつかない状態だ。一年生でもわしの友人だったW君が出ていたが、このW君はバレーボール県大会で優勝したチームのエースアタッカーで、運動神経抜群だった。

 このW君がこともあろうに、相撲部主将だった大男の2年生を簡単に絞め落としてしまった。土俵では無敵の上級生が、畳の上で涎をたらしてのびているのは、見ているだけで気の毒だったな。武道場も異様な雰囲気だった。全寮制の学校で、一年生が上級生を試合とはいえ絞め落とすということは、たいへんなことなんだが、さすがにこれだけ圧倒的な力の差を見せつけると、いちゃもんをつけられることは無かったようだ。

 ただし、翌年からの武道大会中止の原因は、どうやらこのw君らしい。今から考えたら、一つ間違えば怪我人や死人がでても不思議ではなかった。学校もよくこんなことを考えたものだとあきれてしまう。何事につけても荒っぽい学校ではあったが、こんなのもこれが最後で、翌年からは普通の球技大会となり、きわめて普通の学校になってしまった。

 せっかく走ることに自信がついて、運動会、マラソン大会どんとこいと思っていたら、残念なことに運動会も一年で中止となり、マラソン大会は駅伝大会となり、走る距離が2km程度になってしまった。武道大会も翌年から出てみようと思っていたらこれも中止で、残ったのは球技大会だけとなってしまった。世の中うまくいかないもので、わしはこの球遊びだけはいくらやってもうまくならなかった。センスが無かったんだろうな。「球遊びなんかやっとれるか。」などと強がってはいたが、ボールを操って生き生きとプレーしているやつらが羨ましかったな。