無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10412日

 さすがに、同年代の友達も多くが仕事をやめているようだ。船乗りを続けた連中も、船会社で出世した者もいれば、ずっと船に乗り続けた者もいる。わしらが学生の頃は、ずっと乗り続けて、船長や機関長になるのがあたり前のように思っていたが、この40年間の世界の急激な変化は、それも許されなかったようだ。

 わしなんかは早くやめて陸の仕事についたから高みの見物だったが、最近友人たちに会ってその話を聞くと、外航船の船員減らしはかなり悲惨なものだったらしい。プラザ合意のおかげで、1年ちょっとで1ドルが240円から120円になったんだから、外国相手に仕事している海運業界はたまったものではない。

 同期生のM君は、N汽船という中堅どころの会社に就職して10年過ぎた頃、肩たたきにあって1000万円の退職金をもらって退職したらしい。わしらはそれを聞いて、「ほう、10年で1000万はすごいな。」とからかっていたら、ていの良い首切りだから金は弾んだんだろうと笑っていた。その後30年、地元の土木会社に勤めたM君はめでたく定年をむかえたんだが、もらった退職金がなんと、たった100万円だったそうな。

 先輩のHさんは大手船会社の陸勤をしていた時、人事で船員の首切りをやらされて、まさに、M君とは逆の立場になってしまった。被害者であるM君は、辞めても家族以外には誰にも迷惑はかけないが、Hさんの立場は人に恨まれる。昨日までの仲間の首を切るんだから余計に恨まれるだろう。そうこうしているうちに、突然風呂で大声で怒鳴ったり、歌を歌ったり、会社へ行かなくなったりして、Hさんの言動がおかしくなってきた。ここは、異変を感じた奥さんが早めに退職させて、事なきを得た。

 同期のO君は準大手の会社に入って機関長までなったが、陸上勤務で子会社に役員として送られて、経理とか全く違う仕事をやらされた。もともと頭のいい男だし、簿記2級をとったり努力はしていたとはいえ、単身赴任だったので、家に帰っても誰もいない生活を続けるうちに、だんだんとうつ状態になって会社へ行くのがつらくなってきた。しかしこのO君は、ある日突然それを克服できたらしい。

 雨上がりのその朝、電車を降りて会社へ向かうO君は、いつものように、所々水たまりのある、舗装された道をうつむき加減で歩いていると、ふと目の前の水たまりに、先にある東京タワーが、青空バックにして逆さまに映っているのに気が付いた。「こんなきれいな景色があるのか」とO君は顔を上げて東京タワーを見上げた。いつも見ている景色だがこの朝は違った。青空をバックにしてすっくと立っている東京タワーがとてつもなく大きく感じたその瞬間、なにかが吹っ切れた。気が付いたら胸を張って歩いていた。

 人生悲喜こもごもとは言え、人が100人いれば100の人生があり、その人生は生きて経験することに意味がある。一人に一つしか与えられない、たった数十年の人生、この世に生を受けた者にしか与えられないこの人生に、間違ったものなど1つもあろうはずがない。すべて正しい、すべてOKだと受け入れることさえできれば、生まれてきた目的はほぼ達成できたとわしは思う。