無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10408日

 去年7月にハローワークで失業保険の申請をしたとき、わしの場合は自己都合退職になるので、支給開始までに3か月間の待機期間があり、しかもその待期期間の間は、年金支給が止まると告げられた。ただ、待機期間中の年金は一旦止まるが、失業手当支給期間が終われば返してもらえると教えてくれた。3月31日に支給期間が終わったので、それが返ってくるのを楽しみにして待っているが、半年たっても一向にその気配がない。女房にはせっつかれるし、わしも早くけりをつけたいので、電話で聞いてみることにした。

 年金停止は電光石火の早業だったが、取りすぎたものを返すのはゆっくりというのもおかしな事で、同じスピードでやってほしいものだ。昼休みが終わった頃を見計らって電話をかけてみた。わしは電話恐怖症とでもいったらいいのか、かかってきた電話に出るのはそうでもないが、昔から電話かけるのは、かなりなストレスになっていた。姿なく声だけで話をするのが不安だったんだろう。ところが毎日誰とも会わずに、1人で家にいるということも関係しているのかもしれんが、近頃は以前ほどストレスを感じなくなってきた。

 電話にでてきたのは、えらく早口の女性で、わしが、あ~とか、う~とか、言いながら1分かかる内容の話を、ほんの10秒ほどで済ましてしまいそうだ。そうなると同じ1分でも、わしの6倍の情報量を持っているということになるのかな。それなら効率的だが、意味のない、単なる6倍の量の言葉の羅列を、立て板に水の如くに並べられたら、それは堪らんな。電話口の女性は、まだハローワークからの連絡が来てないので、雇用保険受給資格者証のコピーを郵送してもらえれば、処理が早くなるということをわかりやすく教えてくれた。

 とにかく年金に関することはわかりにくい。最近、配偶者の加算分が加算されてなかったというようなことがニュースになっていたが、言われるままで、まともに計算している人はほとんどいないだろうから、こんなことがなければ一生知らないままだろう。わしらも、あなたの年金はこれだけですと文書で連絡がくると、そのまま信じて疑うことはない。今日は午前中、去年送られてきた資料を確認していて、今年になって年金支給額が減っているということに初めて気が付いた。減ることはあっても増えることはないだろうから、厳しいことは厳しいが、知人と話していても、こういう話になると必ず最後は、「贅沢を言ってはいけない、若者はもっと少なくなる可能性もあるんだから、あるだけで有り難いと思わないとな。」という決まり文句で締めくくることが常となっている。