無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10405日

 少しでもなじんでおこうと、30分ほど早く家を出たので、向こうに着いたのが9時半頃だった。それから30分ほどして長女は自転車で出かけた。さあ、とうとう孫と二人だけの時間になってしまった。このT君、母親が出て行っても泣くことも無く、にこにこ笑っている。ここでひと押しと思って、さっそく持って行ったfireTVをセットしてユーチューブでプラレールを見せてやると、これが思った以上に食いついてきて、ゴーゴーパラダイスに合わせてテレビの液晶画面たたき始めた。画面が汚れてテカテカに光っているのはこれが原因だったようだ。

 10分ほどしたら少し飽きてきたようで、テーブルの上に置いてあった、卵ボーロを持ってきた。欲しいという意思表示をしているようなので、10個ほどを入れ物に入れて渡してやった。うろうろ歩きながら食べていて、プラレールにはあまり興味を示さないので、今度は機関車トーマスに変えてやった。するとまたテレビの前に帰ってきた。しかし最初のような食いつきは無い。5分もしないうちに興味を無くしてしまった。1歳くらいだと中身がよく理解できないだろうから、これくらいが限界なのかな。

 この後はお姉ちゃんのままごとセット持って来て遊んだり、ゴミ箱を壊したり、虫取り網持って来て振り回したりして、ほとんど一人で遊んでいた。この子は手がかからないとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。一緒にいるうちに、そう言えばうちの長男もこんな感じで、1人でトミカを畳の縁に並べて遊んでいたなあと思い出した。

 有り難いことに、うちの子らは3人とも楽しい家庭を築いて、家族で仲良くやってくれているので、親としては何も言うことはない。女房とも、子供らの邪魔だけはしないように、気を付けないといかんなと話している。結婚して家庭を持ったら、わしらの子供というよりも、それぞれが夫であり妻であり、母親でもあり父親でもあるんだから、そちらを優先しなければならない。一番大切にすべきものは自分の家庭であり、家庭がきちんと治まって余裕があれば、たまには親の事も思い出してくれればいいと思っている。自分の家族が一番大切ということを夫婦で共有するということができれば、たいていの困難は乗り越えることができると思っている。