無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10402日

 わしらの父親や母親の世代というのは、戦後の何もない時代に、自分の事は後回しに、子供を食べさせるために、一生懸命働いて一生を終えた世代だとも言える。人並みに子供の成長も立身出世も楽しみにしていたのかもしれないが、わしはそういうことには背を向けてしまって、全く応えることができなかったことは申し訳ないと思っている。今から思えばわしらの世代というのは、高度成長期と重なるのだから、余計なことは考えずに、その波に素直に乗っておけば、世間的にはまあまあの出世も果たしたんじゃないかと思う。

 しかし、それも親孝行かもしれないが、わしは30年近く両親と一緒に住んで、十分ではないにしても、自己満足かもしれないが、自分なりに親孝行らしきものはできたのではないかと思っている。もうとっくに亡くなったが、一流大学、一流企業に入った自慢の二人の息子を持ったおじいさんが近所に住んでいた。ある時おふくろがそのおじいさんと話していて、立派な息子さんを持って幸せですねと言ったら、そのおじいさんが「立派な息子かどうか知らんが、全然帰ってこんし、つまらん。何しに育てたんかわからんなあ。」と話していたらしい。どこまでが本気で言ったのかわからないが、子供と一緒に暮らしたいという気持ちも少しはあったんだろう。

 わしが田舎に帰って親と一緒に住むという話になった時、一番安心したのが当時自衛官の兄貴だった。全国を異動しての官舎暮らしだったが、最後は引き取って面倒をみなくてはいかんだろうと覚悟はしていたようだ。しかし、親と一緒に異動するというのも大変なことなので、それがなくなってよかったというのが正直な気持ちだったみたいだ。

 わしの両親はみんなから自立しているとよく言われていた。元気なころは何事につけても、わしらに相談することもなく、結果だけ伝えてくるのでカチンと来ることもあった。そのおふくろは死ぬ前に「あんたらが小さかった頃、かあちゃんかあちゃんと言って足元にまとわりついてきたのが無性に懐かしい。かわいかった。帰れるものならあの頃に帰りたい。」とよく言っていた。わしなんかが偉そうに言っても、母親にとっては、子供はずっと子供のままだったのかな。