無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10397日

 3軒隣にTさんという、おそらく80代半ばではないかと思われる人が住んでいる。わしが子供の頃から住んでいたらしいが、最近まであまりよく知らなかった。同じ町内会ということもあり、親父のあとの民生委員を引き受けてらったりして、両親は普通につきあっていたようだった。Tさんは、子供もみんな県外に出ているので、十数年前に奥さんを亡くして以来、ずっと1人で生活をしていた。

 わしが話をするようになったのは、おふくろが死んだ頃だから、12~3年前になる。特に親父が家にこもってしまってからは気にかけてくれて、飲みに誘ったり、話に来てくれたりしていた。ゴミ出しで出会ったときなんかにも、「おとうさんの具合はどうなん?」と声をかけてくれた。明るい快活な人で、近所の人と話すTさんの大きな声がよく聞こえていた。親父が施設に入ってからも、わしの姿をみかけると、いつも近寄って来て親父のことを聞いてくれた。

 しかし、親父が死んだ頃からだと思うが、しだいに会うことが少なくなってきた。たまに会ってもそんなに話さなくなったので、わしもちょっとおかしいなとは思っていたが、ある日女房が「Tさん随分痩せたし、表情が乏しい、なんかお父さんに似てきたね。」と言った。確かにその通りで、にこやかだった表情が厳しくなり近寄りがたい雰囲気になっていた。

 そんなTさんを、昨晩久し振りに見かけた。車庫の中で明日出すゴミの始末をしていると、誰かが家の前を歩いた。ふとそちらを見ると、Tさんだった。わしも声をかけようかと思ったんだが、うつむき加減で怒ったような表情で歩いているTさんを見ると、声をかけることも憚られるような気がして、黙ってやり過ごしてしまった。

 この状態はおふくろを亡くした後の親父とそっくりで、老人性鬱だと思った。あんなに元気だったTさんも、10年たったらこんなになるのかと、老いるということの厳しさを実感した。老いるということからは誰も逃れることはできない。老いるということは、若者のままで歳だけを重ねることではない。若者の時の体も心も壊れていく過程だともいえる。そうだとすると、完全に壊れてしまう前に、いいところで寿命が尽きるというのも、悪くはないのかなと思う。

 確かにだんだん体もきつくなっていくし、計算も遅くなり、間違いも多くなる、理解力も落ちる、歳をとってあまりいいことはない。これは思っていた以上だ。若い時の体と心の状態のままで、今の生活環境を手に入れることができたら最高だが、それは欲張り過ぎだろう。差し引きゼロのこの人生、ブツブツ言わずに、良いことも悪いことも黙って全部引き受けることこそが、この世に生まれてきた醍醐味だと考えると、少しは楽になるのではないのかな。