無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10395日

 図書館に勤めていた人から、昭和32年から40年代までのサンケイカメラ、アサヒカメラ、カメラ毎日を貰ってから30年たった。家の中で大きなスペースを占有して邪魔なうえに、これらの本はとにかく重たいので、座が抜けるんじゃないかとか、家が傾いているとかさんざん言われて処分を迫られている。処分するにしてもゴミで出すわけにもいかず、かと言って貰うときに図書館の印を押してあるので古本屋に出すのだけはやめてくれと言われていたので、それもできない。さてどうしたらいいものかと、ずっと悩んでいる状態だ。写真の歴史を語る上でも、戦後の広告の歴史を語る上でもこれだけまとめて揃っているのは貴重だと思うんだが。

 たまにはランダムに中を開いてみることもある。この間サンケイカメラの1958年10月特大号を見ていると面白い組み写真が掲載されているのを発見した。「キリンのお輿入れ」というタイトルで愛媛の道後動物園にケニヤからキリンがやってきたときの情景を写したものだった。じつはこのキリンはわしが小学校1年生のときにやってきて、わしも見に行った覚えがある。作者は芳之内重信さんという人で、調べてみると今でも新聞社主催の写真教室の指導者をしていたから、おそらく新聞社のカメラマンだった人だろう。

 途中で電車のガードや電線に引っかかったりして、なかなか大変な道中だったようだ。キャプションに結納金百万円と書いてあるから、当時大卒初任給が1万5千円くらいだから、現在に価値にしたら2千万くらいになるのかな。写真というのは訴求力のある媒体で、文章で長々と説明するよりも一枚の写真で全てがわかることもある。わしもこの組み写真を見ただけで、当時の大騒ぎの様子やキリン舎で見たでっかいキリンの姿が鮮やかによみがえってきた。

 インターネットで紹介すればいいような面白い記事や写真があるんだが、権利関係がどうなっているのかよくわからないのでそういうわけにもいかない。印刷が今ほどよくないので、写真はあまりきれいとはいえないが、あのテレビ結婚式の写真とか、丸の内ビル街や国立競技場の空撮とか、当時の生活風景など貴重な写真が多く掲載されている。これらは時が立つにつれて価値が増してくるものだと思うが、こうして見ていると、やはり写真の価値はその記録性にあり、社会を普通に写したものは今見ても一番面白い。インスタ映えなどと言っている今の写真は半世紀後には何の価値もないガラクタになっているんだろうと思う。

 わしが持っていてもこれを何とかするという気力はもうない。さてどうすべきか、そろそろ結論を出さないといかんな。