無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10393日

 4年前に島であった同窓会に、O君は「現在胃がん闘病中のため欠席します。次回は出席して同じ釜の飯を食ったみんなと会いたい。」という短信を書いてよこしていた。わしは胃がんなら早期発見でよくなることが多いと聞いていたので軽く考えていた。そこで、四国方面に帰るわしら5人で、途中O君の家に見舞いに寄ることにした。橋が架かってからは島まで車で行けるので便利になったが、わしは車で行ったことは無い。この日の同窓会にも学生の頃と同じルートで、JRとフェリーを乗り継いで行っていたので、一緒に見舞いに行くT君の車に同乗させてもらった。

 T君は卒業後、初めから船とは関係ない職種に就いたんだが、わしと違って結構情報通で同窓生の近況もよく知っていた。O君の家を知っていたのもこのT君だった。そしてこの道中で初めて、O君の病状が末期がんで、次の同窓会に出席することはできないだろうということを聞いた。これを聞いてなんか重苦しい気分になった。治る病気なら大変だったなあ、頑張れよで済むが、末期がんの患者に一体何と声をかけたらいいのか、すぐには思いつかなかった。

 O君もわしと同じく高校中退組で、入寮した時一緒の10人部屋だった。身長は低かったが、浅黒くてよく肥えていた。O君とはいろんな思い出があるが、あと10707日で書いた、尾道まで一緒にエロ映画を見に行ったメンバーの1人でもあった。H島で喫茶店をやっていたO君の実家に遊びに行ったこともあった。この時は一緒に行ったM君と3人で、朝まで3人麻雀をやったな。この時O君から聞いたのがホットコーラの話だった。

 ある日O君が店番をしていると、若いアベックが店にやってきて、どこで聞いたのか知らないが、ホットコーラを注文したらしい。ホットコーラという名前を初めて聞いたO君は、客に聞くのも癪に障るので、コーラを鍋で沸かしてだしてみた。炭酸なんか飛んでしまっているから、単なる色のついた砂糖水みたいなもので、おいしいわけ無いんだが、ちゃんと金も払って帰ったから、あれで良かったんだろうなと笑っていた。

 家に着いた時、別人のように痩せてしまったO君が出迎えてくれた。そこにはわしの覚えている、あのふっくらした体格でシャドウボクシングが得意だったO君の面影は全くなかった。奥さんと高校生くらいの娘さんが1人いて、お茶とケーキを出してくれたが、O君の姿を見てみんな急に無口になった。それでも、それぞれの近況を話したり、昔話をしたり1時間位は話しただろうか、O君の負担になってもいけないのでお暇をした。

 帰りはI君の車で最寄りのJRの駅まで送ってもらった。車中でI君が、「Oはあまり長くないのかもしれんな、あれでは次の同窓会までもたんだろう。子供もいるのにかわいそうやな。」わしに話しかけてきた。また次の同窓会で会おうと握手して別れはしたが、みんな心の中では、これが最後の別れになるんだろうなということはよくわかっていた。O君一家は車が見えなくなるまで手を振ってくれていた。それから1か月もしないうちにO君の訃報を聞いた。

散る桜 残る桜も 散る桜

良寛和尚の辞世の句だが、自分もいずれは散る桜であるにしても、今散ろうとしている桜を見ているのもつらいものだ。