無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10390日

 先週の金曜日に咽喉が痛くなって、医者に行こうかどうか迷ったが、もともと医者嫌いな性格なので、結局置き薬を飲んで早めに寝ることにした。春に咽喉の痛みから高熱が出て、咳喘息のような状態でひどい目にあった。この時は協会けんぽから国保に切り替え中で、まだ保険証が手元になかった。ひとまず病院に10割払っとけばいいんだろうが、なんか面倒くさいので、家で3日ほど高熱にうなされながら寝込んでいた。この時のことがあったので、今回も少し気にはなっていた。今のところ、咽喉の痛みは続いているけれども熱は出ないので、大したことはないようだ。

 ブログを書き始めて17か月、毎日書くのは大変な時もあるが、わしの場合は内容もさることながら、書くということが目的なのでなんとかなっているといえるのかもしれない。はてなブログだけでも、ブログの数がいくつあるのか想像もつかないが、これを見ていると、みんな書きたいんだなあと感心してしまう。ブログから収入を得ているとか、得ようとしている人は別にして、ただ書きたいから書いている人たちは、ブログ以前はどのように、その書きたいという欲求を処理していたのかな。

 わしは俳句結社に参加して多少勉強したことがあった。俳句は面白いんだけれども、あまりにも575にとらわれ過ぎて、窮屈になってきた。というのも、どこにいっても何をしていても575が頭の中から離れなくなってしまう。きれいな景色を見てもそれに浸る前にまず575。遊びに行っても楽しむ前にまず575。これでは人生が無駄になるのではないかと疑問に感じて、ひとまず575から離れることにした。その点ブログは自由に書けるので楽しい。わしには1000字前後が一番書きやすい。

 ブログというのは自分のために書くと言っても、公開している以上、日記帳に書くのとは違って、誰かが読んでくれることも期待している。ここらあたりに多少の緊張感もあり、面白みもあるんだろう。人のブログをみていても、個人的なことも書かれていて、いろんな人の考え方や生き方など、対面では話さないことや聞けないことなんかも知ることができておもしろい。しばらく更新が無いと、どうしたんだろうと気になることもあり、自分の子供と同じくらいの人のブログを見ると、親のような気持ちになって大丈夫かなと心配してしまうこともある。

 ブログとは、わしにとっては、今まで触れたことの無い、別な世界に案内してくれる不思議な図書館のようなものだといえるのかな。