無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10386日

 総選挙で、候補者の車が名前を連呼して回っている。一時は、連呼はうるさいし意味がないからやめよう、というような声も聞かれたことがあったが、今でも名前の連呼しかやらないのは、それが一番効果的だからなんだろう。止まって話をするなら、いろいろ話すこともあるかもしれないが、前を走り抜けていくだけなんだから、連呼して名前を覚えてもらうしか、やりようがないだろうな。中選挙区の頃は、選挙カーがもっとうるさく走り回っていたように思うが、気のせいなのかな。

 詳しいことはわからないが、宇野首相は指3本で首相の座を失ったことがあったように、政治家と女性の関係は昔から語られていた。三木武吉の妾に関するエピソードが有名だが、代議士になるとほとんどの人がお妾さんを持っていたんじゃないのかな。どこまでがほんとうか知らないが、この地方でも元知事、元代議士、元市長、いろいろな話がまことしやかに伝えられている。昔はおおらかだったと言ったら一部の女性に叱られるかもしれないが、有権者にしてみれば、きちんと仕事さえしてくれれば、それでいいという感覚だったんだろう。

 うちの隣に、上品できれいなおばちゃんが住んでいたことがあった。小さいときから住んでいたので、わしらは○○のおばちゃんといってなついていたし、○○のおばちゃんもわしらを可愛がってくれた。この人が県議のお妾さんだったと知ったのはわしが20歳も過ぎてからだった。大阪のE叔母さんのうちに泊めてもらった時、偶然隣の○○のおばちゃんの話になった。その時E叔母さんが何気なく「ああ、あのお妾さん?」と言ったのを聞いて、ええ!あの人はお妾さんだったのかと驚いたと同時に、なんで今まで気が付かなかったんだろうと、不意を突かれたような変な感じだった。

 そういえば、時々恰幅の良い、高そうなダブルの背広を着たおじさんが来ていたし、家の中には選挙の時のものだろうと思える、縁起物の類がたくさん飾ってあった。朝になると大きな自動車が家の前に止まって、運転士が待っていることがよくあった。おそらくそれは県の公用車だったんだろう。それでもこの○○のおばちゃんがお妾さんだとは思いもしなかった。ところがこの○○のおばちゃん、ある日突然、大阪に行くと言って、家財道具も全部置いていなくなってしまった。

 だいぶ後になっておふくろから聞いたんだが、県議は落選し、落ちぶれて老妻のもとに帰り、県議の経営していた会社も倒産したらしい。「妾の家から公用車で議会に行くなんていうのはちょっとおかしかった。そんなことやっとるから落とされたんよ。」と言っていたから、その当時でも陰ではいろいろ批判はあったんだろう。今なら県議の分際でこんなことをやっていたら批判が殺到するだろうが、当時は、批判は主婦の井戸端会議で収まっていたようだ。