無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10385日

 娘を嫁に出すというのは寂しいものだと、世間ではよく言われている。わしの昔の上司なんかは酒を飲むと、芦屋雁之助の歌 ♪~嫁に行く日が来なけりゃいいと~男親なら誰でも思う~♪ を歌っていた。お前らもいずれ嫁に行く娘を持ったらこの気持ちがわかると言っていたが、それから25年たってわしも娘を嫁にだす立場にたった時、そんなこと少しも思わなかった。また、大事に育てた娘をなんでよその男にやらんといかんのだとも言って怒っていたが、わしなんかは、よくぞもらってくれたと夫婦で手を取りあって喜んだもんだ。

 それもこれも、この男性と家庭を持てば幸せになるだろう、この男性の両親となら、うまくやっていけるだろうと信じることができたからで、そうでなければ、娘になんと言われようと反対していた。親が望んでいるのは子供の幸せだけだ。子供が結婚を望んで、それで幸せになれるのなら反対するわけがない。

 うちの娘は仕事はできるんだが、あまり結婚には向いてないのかなと思っていた。ひょっとすると一生独身でいるかもしれないと考えて、わしの退職金で返済できるようにローンを組んで、近所の中古の小さなマンションを購入しておいた。娘に話したのは、子供はいつでも産めるのではないということ、世間並みに一度は結婚して家庭を持ちなさいということ、それに、人のやることだから失敗することもあるかもしれないが、せずに終わるよりも、して失敗する方がまだましだ。だめになればうちに帰ってくればいいんだからということだった。

 幸いなことに、向こうの家庭もうちの家庭と同じような環境で、穏やかな、常識的な両親がいて娘も可愛がってもらっている。しかし、世の中にはいろんな結婚生活がある。もし家庭環境などで苦労することがわかっていて、それでも一緒になりたいと娘に言われたらどうしただろうかと時々考えるが、わしなら相手の家に乗り込んででも破談に持ち込んだかもしれない。娘の心配をし続けるのはつらい。

 適度な苦労は人を強くするが、それも度を超すと折れてしまうことがある。わしが親なら、場合によっては折れる前に帰ってこいと呼びかけるかもしれない。いったん離れて客観的に見直せばまた状況も変わるかもしれない。個々の場合、条件も違うので何ともいえないが、一般的には、家族は一番大切だが、もしも夫婦の結束が乱れた時は子供が一番大切になる。どうしても結束を乱す原因が取り除けないのなら、子供のために、一度離れるという選択肢もあるのかなと思ったりもする。

 まあ、以上は娘を嫁に出した親のたわごとかもしれないが、娘には少々の苦労を跳ね返すだけの強い心を持って、自分の人生を切り開いて行ってもらいたいと思っている。それでも何かあれば頼ってもらいたいと思うのも親の偽らざる気持ちだ。