無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10376日

 第17回全国障害者スポーツ大会の開会式出席のために、皇太子殿下が来られていて、あちこちで通行規制がかけられている。そうとは知らずに、女房の兄の入っている施設に、冬物の毛布や衣類を届けに行って、危うく門から出られなくなるところだった。天皇陛下の時ほどではないにしても、朝からヘリも飛んでいたし、道路上にかなりの数の警察官や警備員が並んでいたので、おかしいなとは思っていた。今回は皇室御用達の「ふなや」に宿泊されるそうだから、ホテル周辺の観光客は大変だろうな。

 もう40年以上も前の話だ。これは結構珍しい体験ではないかと思っているんだが、わしは皇太子がよく訪れるという方のご自宅にお邪魔したことがあった。この方御本人とは面識は無いが、この方の奥様と同じ職場にいた、わしの知り合いが誘ってくれたということだ。それ以前に、奥様にはわしも何回かお会いしたことはあったので、声をかけてくれたんだろう。今では家がどこにあったのかも、どのようにして行ったのかも忘れてしまった。

 広い応接間があって、そこに皇太子が来た時の写真がたくさん飾ってあった。「ついこの間も来られたのよ。」と言って、奥様が見せてくれた写真には、わしが今座っている椅子と同じ椅子に座って、微笑んでいる皇太子が写っていた。その時の話なんかを、話せる範囲でいろいろ話してくれるのを聞きながら、ビールを御馳走になった。写真とはいえ、皇族が当たり前のように訪ねてくるという現実を実際に目にするのは、わかってはいても、やはり驚きだったな。

 その後、わしもそのグループに入れてくれて、奥様には能、狂言や新宿歌舞伎町にも連れて行ってもらったり、いろいろお世話になった。田舎に帰ってからは年賀状だけのお付き合いになり、遠ざかっていたが、ある日、新聞で事故のためご夫婦共に亡くなられてという記事を読んで本当に驚いた。あんなにいい人が事故で亡くなるとは理不尽なことだと、俄かには信じれられなかった。

 出張で東京に行ったときに、昔の知り合いを訪ねて奥様のことを聞いてみると、御主人が寝たきりになり、その介護で、かなり精神的に疲れていたことを話してくれた。功成り名を遂げたご主人と、上品で明るい奥様と、このお二人の人生が、こんな過酷な最期を迎えることになろうとは、誰も想像できなかっただろう。生老病死は誰にでも平等にやってくるとはいえ、できれば笑って人生の幕を下ろしたいものだ。