無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10374日

 若い頃は人と議論したり、議論とまではいかないが、長い時間ひとつの事について話し込んだりすることもよくあったが、そういうことをする時間は、歳をとるにつれて減ってきた。年の功といったらいいのかどうかわからないが、段々と先が読めるようになってきたのが、大きな原因だともいえる。逆に言えば、それだけ生きることの面白みや、人生に対する興味が減ってきたのかもしれない。

 よく言えば、物事に執着しなくなったともいえるし、マイナスにとらえると、向上心が無くなったといえるのかもしれない。そもそも議論するということは、主義主張のぶつかり合いである以上、時間がたてばたつほどヒートアップしていくもので、勝っても負けてもいずれにしても残るのは嫌悪感だけだ。そういう面倒は避けたいという防御本能が働くんだろう、特に政治や宗教、現代史に関する話なんかは、価値観を共有できるということが確認できた相手としかしなくなった。縁なき衆生は度し難しということで、そうすれば予定調和のぬるま湯の中で、楽しい時間を過ごすことができる。

 60歳再雇用となり、勤務時間が9時~5時になった関係で、毎朝30分程じじい4~5人が集まってコーヒーを飲む時間ができた。もともとは3人だったんだが、話を聞いて他の職場からも来るようになった。みんな気心の知れた人ばかりで、面白いんだが、その中に1人、ゲバ棒ヘルメットの学生運動から抜けきってないT君がいた。そのT君、慰安婦捏造で、朝日新聞が間違いを認めて謝罪をしたことにより、売り上げが減少したから、自分は3部とって応援していると言うほどの朝日脳になっていて、心から朝日新聞の無謬性を信じて疑わなかった。

 若い頃ならそんなことを聞くと、からかってやろうと、いろいろ話も盛り上がったのかもしれないが、60も過ぎたじじいが集まると容赦ない。「やかましい、もう帰れ。」「そんなたわごとは家でかあちゃんに聞いてもらえ。」と怒鳴られても、話し続けて、部屋を出る前には勝利宣言も忘れなかったから、60歳を過ぎてなお予定調和のぬるま湯に浸ることなく、議論を恐れないT君は、ある意味、わしらよりも自分の人生を楽しんでいると言えるのかもしれんな。