無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10366日

 先週から少し風邪気味だったので、法事が終わるまではひどくならないように気を付けていたが、終わって気が抜けたのか、昨晩あたりからのどの痛み、咳、痰、鼻水が急にひどくなった。朝方は調子が良くて、天気もいいので布団を干したりしたが、昼頃になると頭がふらふらしてきた。鼻水が落ちてくるのをティッシュで拭いていると鼻の周りが赤くなってくるので、春先に風邪をひいたとき、まとめて買った鼻セレブというのを使っている。以前職場の女性が、鼻をかみ過ぎて、赤くなっているわしの鼻を見て、気の毒に思ったんだろう、自分が使っている鼻セレブを分けてくれたのが始まりで、それ以来風邪をひいたときには非常に助かっている。

 少し前に薬局で買ってきた風邪薬を飲んだが、ちょっと遅すぎたかもしれない。今晩一晩ゆっくり寝ておさまればいいんだが。のどが痛いので、マスクをして寝ていると、夜中に息ができない夢を見て、無意識のうちにマスクを外していることが時々ある。起きている時はマスクをしていても苦しいとは思わないが、夢の中では死を連想させる。あの世から帰ってきた人が誰もいないからわからないが、寝るということは案外死ぬこととよく似ていて、潜在意識はそのことを知っているからこそ、余計に敏感になり、死の恐怖から逃れようとするのかもしれない。

 わしも今すぐ死ぬとは思ってないし、まだ何の準備もできてない。まあ、完璧な準備なんかは、いつまでたってもできないんだろうとは思うが、たぶん他の人よりはそのことを意識して生きていると思っている。しかし、それが良いとか悪いとかということではない。わしが今の生活が気に入っているように、そんなこと意識する暇もないほど、いろんなことに熱中できる人にとっては、そういう生活のほうが気に入っているんだろう。それはそれで何の問題もない。

 それでも、意識しなければならない日は必ず、例外なくやって来る。寄り道をせず、残された時間の多くをそれに注ぎたいと考え、それを実行できるということは、一番恵まれた人生だといえるのかもしれない。