無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10356日

 咳もほとんどおさまり、夜もゆっくり寝られるようになったので、体がだいぶ楽になってきた。少しずつ散歩もできるし、咳き込まずに祝詞をあげることができるようになったのが、なにより有り難い。咳で腹筋を使い過ぎたのか、昔、腹膜炎をおこしかけた時の、腹の手術痕がきりきりと痛み出して辛かったが、何とか終息に向かっているようだ。まさかこれほどのダメージを受けるとは思ってもいなかったが、これが歳をとるということなのかもしれんな。

 古傷が痛んだせいで、忘れていた30年以上も前のことを思い出してしまった。わしが救急車で防衛医大病院に担ぎ込まれた時、ショック状態で血圧が低下し、手術ができず、血圧を上げるために、ひとまず一般病室に入院した。血圧が40くらいだったから、ただ、ぼーっとして寝ているだけしかできずにいたが、外科病棟というのはおかしなところで、手術前の人、手術直後の人、手術後時間が経過した人、この3種類の人が混在しているということに気が付いた。つまり、わしのように、わけのわからない原因不明の病人の居場所ではないということだ。

 基本的に手術後時間が経過した人は既に病人ではない。みんな元気で、病室内で暇を持て余している。手術前の人も、ほとんどが切れば治る人たちなので、わりあい元気だった中で、唯一病人らしいのは手術直後の人だけだった。わしが病室に運ばれた時、8人ほどいたと思うが、みんな元気そうで楽しく話をしていた。ひとりの若いきれいな女性、A子さんがその中心で、外出時に買ってきたみたらし団子をみんなに配っていた。そのうちにわしの存在に気付いたそのA子さんは、2本を皿に入れて持って来てくれた。

 そんなに重病人には見えなかったんだろう。手術後の人だと思ったのかもしれない。こちらは腹も痛いし、熱でしんどくてそれどころではない上に、生死の間を彷徨っている状態なのに、いろいろ話しかけてくる。すぐに看護師が来てとめてくれたが、元気でいいなあと思ったのだけは覚えている。結局そのみたらし団子は、2日後、危篤と伝えられて、飯も咽喉を通らない状態で飛んできた、おふくろの胃袋に入った。

 それから2日ほどして、廊下を歩いているA子さんを見かけたが、点滴をゴロゴロ押しながら、尾羽打ち枯らしたような憔悴した姿だった。これを見てわしは、まさに、これが手術直後の人かと、あの2日前のはつらつとしたA子さんとの落差に驚いたが、既に回復に向かっている姿が羨ましくもあった。

 手術後の入院中にわしは珍しい経験をした。同室だった腸閉塞のおじさんと親しくなり、いろいろと話をするようになった。そしてある日、その人の家族が見舞いにやってきた。娘と息子がいるということは聞いていたので、どんな人なのか、わしも楽しみにしていた。ある日の午後、やってきた娘さんは、夏だったので半袖のワンピースを着ていたように覚えている。わしはその姿を見て、あっと声をあげそうになった。

 絶世の美女という言葉さえ霞んでしまうほどの美しさで、あれから30年以上たつが、現実社会でも、映画の中にでも、未だにあの人より美しい女性に、会ったことがない。言葉で表現するのは難しいが、父親のお見舞いに持ってきた、梅が丸ごと入った和菓子を一つ持って来てくれて、「梅の種が入っているので、気を付けて召し上がってください。」と手渡ししてくれた時は、わしは天にも舞い上ったような気持ちで、緊張してろくにお礼も言えなかったし、まともに顔を見ることもできなかった。こういう経験は以後二度となかった。

 いや、つまらんことを思い出してしまった。