無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10354日

 近頃は公務員人気なんかで、公務員になるのも難しいようだが、わしの小さい頃はそうでもなかった。特に市町村職員なんかはほとんどがコネ採用だったように思う。少なくともわしの周辺ではそうだった。また、今では偉そうに国立大学法人職員採用試験なんてやっているが、大学職員なんかも昔はみんなコネだったと聞いている。おそらく60歳以上の人は、ほとんどがそうだろう。まあ、誰も競争してまでなりたいと思わないんだから、それだけ公務員の社会的地位が低かったということだろうな。

 わしが小学生の頃に、2階にSSさんという学生が下宿していたことがあった。みんなからSちゃんとファーストネームで呼ばれていたから良い人だったんだろう。リアルタイムではよく覚えてないが、親のアルバムに貼ってあった、城をバックに、トレンチコートを着て微笑んでいるSさんは、エキゾチックな感じのなかなかの男前で、女性にもさぞやモテたことだろう。

 そのSさんが卒業後、市内の大きなホテルに就職したらしい。男前だったこともあったのかどうかしらないが、仕事もできたんだろう、そのホテルのオーナーの娘と結婚することになった。オーナーのMさんは有力な市会議員で、言ってみればそこらあたりの顔役なわけだ。そのうちに、うちの両親も、Sさんを通してそのM氏と知り合うことになった。

 さて話は長くなったが、わしが船乗りを辞めたいと思うようになった、昭和49年か50年頃のことだ。なぜか親がしきりに市職員を勧めてくる。わしは市の職員なんかはまったく興味なかったが、今更事務系は嫌だが、電気関係ならやってもいいかななどと話したことがあった。別に本当にやりたかったわけではないが、面倒だからそう答えただけだった。職員採用試験を受けるには、すでに日も過ぎているので無理だろうと考えていた。

 そこに登場したのが先のSさんとM市議だった。どうやら親父がM市議に頼みに行ったらしい。関係者みんな亡くなったし、こういう裏話ももう時効だからいいだろう。M市議は話を聞いて、「わかった、履歴書を書いて本人に持ってくるように伝えてくれ。」と言ったらしい。親父には、旨く行きそうだから、とにかく履歴書を持ってM議員を尋ねるように勧められたが、わしは、コネなんかで入りたくないからときっぱり断った。誰でも若いときは純粋なんだろうな。

 親父もがっかりしていた。しかし、もしもう一度同じ状況になったとしたら、今なら一も二もなく、履歴書持ってすっ飛んで行っただろう。もし、親父の立場に立ったとしたら、当然自分の子供にも勧めるだろう。これが40年生きてきて、世の中を知ったということなんだろうか、或いは利口になったということなんだろうか。功利的に生きることは決して悪いことだとは思わないが、ちょっと寂しいような気もする。しかし、矛盾するようだが、子供らには堂々と利口に生きてほしいと願っている。これが親心というもので、親父もきっと同じ気持ちだったんだろう。