無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10352日

 昨日、娘からぎっくり腰になって動けないというメールがあったので、今朝早くから、家にあったコルセットやロキソプロフェンテープを持って行ってきた。洗濯物を干そうとして、ちょっとうつむいた時にギクッときたらしい。たいして重いものを持ち上げているわけではないが、子供を抱くときにやはり負担がかかるようだ。朝行ったときは、だいぶん回復して、少しなら歩けるようになっていたので、一安心というところだ。

 わしがぎっくり腰を初めて経験したのは、中学一年生の時だった。人より早い方だと思う。ある土曜日、授業終了後校内の清掃をしている時、草刈り用の釜をとろうとしてうつむいたとき、突然ギクッときて、ひざまずいてしまった。わしの中学校は、校庭に400mトラックがひけるほど広かった。その隅っこの方で一人で草刈りをしていたので、誰も気が付かない。みんな時間が来たら引きあげてしまって、結局、声をあげることもできず、脂汗を流しながらうずくまっているわし一人だけが、丈の高い草むらの中に残されてしまった。

 何分ぐらいうずくまっていたのかわからないが、少し痛みの和らいできたので、ゆっくり起き上がり、一歩一歩広い校庭を横切って教室へ向かった。長い時間をかけて教室に着いてみると、みんな弁当も食べ終わって、帰る準備をしていた。昔の中学校は縛りも緩やかで、土曜日だから4時間目が終わると、担任の話があって、掃除、弁当、解散になっていたので、わしがいなくてもそれほど気にならなかったようだ。まあ、単に影が薄かっただけかもしれんが。

 学校から家まで2kmほどあったので、自転車通学をしていた。歩くのがやっとのぎっくり腰で、自転車に乗って家まで帰ることができるかどうか不安だったので、一緒に通学していたH君には先に帰ってもらった。今なら親に連絡してタクシーを呼んでもらって帰るんだろうが、昭和39年当時の子供はそうはいかない。当時は身長が150cmなかったようなちびだったが、自転車だけは一人前に大人用の26インチに乗っていたので、サドルにまたがると足が地面につかないという情けない状態だった。

 このぎっくり腰の状態で、どうやってサドルにまたがったのか覚えていないが、普段なら15分程しかかからないのに、この日はその何倍も時間をかけてゆっくり家に帰った。そして家に着いて、玄関わきの四間に上がったとたん、動けなくなってしまった。家に帰ってほっとしたんだろう。これ以後は腰痛はそれほど珍しいことでもなくなったが、この第一回目の時だけは、何の病気かと思って肝を冷やした。親父もおふくろも「どうぜんき」だろうからほっとけば治るというので、そのまま一晩寝たらほんとうに治ってしまった。

 わしはあれ以来、ぎっくり腰のことを「どうぜんき」というのかとずっと思っていたのだが、他の誰も知らないから、どうも一般的ではなかったようだ。この地方の独特の方言かとも思ったが、親父と同世代の人からも聞いたことがない。どなたか「どうぜんき」を知っていたら教えてほしい。