無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10348日

 このブログを始めるきっかけにもなった、わしらの一族は癌で死ななければ94歳まで生きるという話を、わしに教えてくれたのは、親父の妹に当たるM叔母さんだった。このブログの第一回あと10918日に書いたように、この時M叔母さんは88歳だったので、わしが「そしたら叔母さん、あと6年しかないがな。」と言ったら、ちょっとムッとしていた。あれから後も、他の人からそんな話をい聞いたことがないので、M叔母さんだけが気にしているのかもしれないが、たとえ自分が言い出しっぺだとしても、寿命があと2000日ほどだと、他の人から指摘されるとあまりいい気はしなかったんだろう。

 この間のおふくろ13回忌の法事の時、わしは離れていたので気が付かなかったんだが、M叔母さんが隣に座っていた女房に、親父が何歳で死んだのかを確認したらしい。女房が94歳だと答えると、「やっぱり94じゃったかな。」と深くうなずいて、またあの話を始めたそうな。確かに94で死んだ人は何人もいるので、全くの間違いではないだろうし、カウントダウンが進んでくると、ちょっとしんどいのかもしれんな。今年はM叔母さんも90なので、これが正しいとするとあと4年ということになってしまう。当たることなくいつまでも元気でいてほしいものだ。幸いなことに、今回は近くで「そしたら叔母さん、あと4年しかないがな。」などと軽口を叩くものもいなかったので、気分を害することは無かったようだ。昔のことを知っているのは、もうこのM叔母さんしかいないので、わしらの間では生き字引のような人だ。一日でも長生きしてほしいとみんな願っている。

 わしもまだ、このM叔母さんの94歳老衰死説は半信半疑なんだが、万が一本当にM叔母さんが94歳で老衰死をしたら、それは信じてしまうだろうし、当然自分のカウントダウンにも力が籠って来ることだろう。とはいえ、家系的には癌家系なので、癌になって早く死ぬ可能性が高いというのも事実だ。親父の兄弟6人のうち3人が癌で亡くなっているし、いとこも一人、40歳代でスキルス胃がんであっという間に亡くなった。祖父も肺がんだから、これはもう立派な癌家系だといえるだろう。

 わしは30年ほど前に、エドガーケイシーを知った。この人の予言に関してはあまり当たってないようだが、病気に関するリーディングにはなかなか面白いことが書かれている。最近はネット上でもブームになっているみたいだから、まんざら嘘でもないんだろう。わしはおふくろの肺がん治療に、医者の了解を得て丸山ワクチンエドガーケイシーのひまし油シップを行った。抗がん剤治療はしなかったので、この二つだけが唯一の医療行為となった。

 結果3月までと言われながら11月まで生きて、死亡時、左の肺は真っ黒だったが右肺は全く正常で酸素は足りていた。血液検査もすべて正常値、他に転移もなかったので、なんで死んだのかわからなかった。生き物は、生きたいという気持ちがあってこそ、生きることができるとしたら、生きる気力がなくなった時、或いは死を受け入れた時、死ぬということなんだろうか。

 ところで、エドガーケイシーのリーディングの一節に、1日1粒の生アーモンドを食べていれば癌にならないと書いてあるのを見つけて、それ以来10年近く食べ続けている。もしわしが94まで生きることができたら、生アーモンドの効用も立証されるということかな。