無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10332日

 毎日毎日家にいるので、何も変化が無いように思われがちだが、そうでもない。そのほとんどは本当に些細な、つまらないことではあるが、まるで誰かに試されているような気がすることもある。先日こんなことがあった。

 12/7は近くの医院でインフルエンザの予防接種を受けることになっていた。午後4時半から接種だったので、25分には行って受付を済ませた。ここは一昨年に開業したばかりで、今風というのか、受付周辺もこぎれいで、医院というよりもどこかのオフィスにでも迷い込んだかのようだ。

 そこで黒いお揃いのワンピースを着た女性が2人、まるで社長秘書のような感じで受付業務を行っている。入った瞬間に、ここはちょっとわしには合わないなと、嫌な予感がした。○○ですがと名乗って来意を告げると、パソコン画面で予約を確認して申告書を渡された。わしは確認のため「65歳以上ですが、この用紙で間違いありませんか?」と尋ねた。というのも、65歳以上になると市から2000円の補助がでるからだ。「えっ、65歳以上ですか?」その女性は一瞬あわてたような表情を見せたが、すぐに「それで間違いありません。」と不愛想に答えた。

 大きなお世話かもしれないが、わしなんかから見たら、黒のワンピースというのも趣味が悪いと思うし、受け答えにしても、不愛想にもほどがあると思うんだが、これが院長の趣味なら仕方がない。黙って指定された部屋に向かった。中に入ると既に20人ほどの先客が待っていた。1人3000円だから、これだけでざっと6万円かと計算をしながら、わしは空いていた椅子に座って名前が呼ばれるのを待つことにした。

 5分経ち、10分経ち少しずつ人は減って来た。30分経った頃には、初めにいた20人は全部終わったはずだが、まだ呼ばれない。確実に後から来た人が呼ばれるようになった。おかしいなとは思ったが、ちゃんと受付をして、名前を確認後、申告書も出しているんだから、何かの都合で順番が入れ替わったんだろうと軽く考えていた。そして1時間たったころ、受付でさっきの女性がわしの名前を呼んでいるのに気が付いた。

 返事をすると、さも驚いた様子だった。「えっ、まだですか?」というので、ここで初めてわしは受付の怠慢に気が付いた。接種は既に終わったはずなのに、わしが金を払わずに帰ったんじゃないのかと心配になったんだろう。ちょうどその時、次の順番の人を看護師が呼びに来たので「一時間待っているんだが、いつまで待てばいいの?」と聞いてみた。するとあわてて医者に確認してすぐに呼ばれた。

 診察室に入ると、医者が受付の入力ミスを謝罪したので、やはり受付の怠慢で間違いなかったようだ。接種を終えて受付に用紙を届けると、そのミスをした女性がそれを受け取った。わしは何か一言謝罪の言葉があるだろうと思って待っていると、出てきた言葉は「すぐに計算できませんので、椅子に掛けてお待ちください。」だった。最近のコンビニやファミレスでのマニュアル通りの応対を連想させた。最後に会計を済ませて出るときに、呼び止められたので、少しは反省したのかなと振り返ると、「よろしければ、当院のパンフレットをお持ちください。」と宣うた。最後まで、そこの接客マニュアル通りだったのかもしれないが、そのマニュアルには、人に迷惑をかけた時はきちんと謝りなさいとは書かれてなかったようだ。

 「もう来ることは無いから、パンフレットなんかいらないよ。」という心の声を聴きながら外へ出ると、すでに夜になっていた。