無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10327日

 おふくろは貴金属類は早めに形見分けしていたのと、亡くなったのち、女房が良いものから他の親族にあげてしまったので、大したものは残って無かった。そんな中で、盗まれたんじゃないかと、おふくろが死ぬまで気にしていた、金のネックレスだけは杳として行方不明のままだった。

 それが出てきたのは、去年の暮、おふくろの着物を処分するために、箱に詰めている時だった。着物の間に挟まれた状態で、実に13年ぶりに姿をあらわした時、一目見ただけで女房はアッと声を上げたから、あのネックレスだとすぐに気が付いたんだろう。女房が一枚一枚丁寧に調べながら箱詰めしていたからよかったが、わし一人で作業をしていたら、気が付かずに捨ててしまったかもしれない。

 そのネックレスは、もし出てきたら女房にあげると言われていたものなんだが、型も古くて女房も使い道がないので、いっそのこと売りに行こうかという話になった。それならついでに、昔からたまっている、金杯とか銀杯とか、ウィスキー、ブランデー、わしがメキシコのアカプルコで時計と交換した指輪類等ガラクタも全部集めて持って行くことにした。

 45年も前のことだが、わしがアカプルコの海岸通りを歩いていると、珍しく英語を話すメキシコ人が近寄ってきた。所謂故買屋というやつなんだろう。立派なダイアモンドの指輪を見せて、由緒ある家から盗まれたもので、安くしとくから買わないかという話だ。そんなに金は持ってないというと、わしの腕時計をみて、それと交換しようと言い出した。

 時計といっても、シチズンの安物の時計だし、しかもバンドを針金で修理していたので、今度日本に帰ったら買いかえようと思っていたような代物だった。どうせ偽物だろうとは思ったが、こんな時計で良ければと、宝くじでも買うようなつもりで交換してやった。それから45年、とうとうあの指輪の真贋がはっきりする時がきたかと、わしにとっては金のネックレスの値段よりも、こちらのほうが楽しみだった。

 いよいよ鑑定が始まり、酒類は一瓶500円、コーチの帽子500円、クロコダイルのハンドバッグ3000円、と進んでいって、とうとう金のネックレスの順番が来た。店長はこれを持ったとたんに、「おっ、これは。」と声を上げ、目方を測って○万円。女房は大喜びだが、わしはそんなことよりも指輪が気になっていた。

 そして指輪の順番が来た。すると、店長はほとんど見ることもなく元の箱に戻してしまった。う~ん、そういうことなんだろうとは思ったが、恥を忍んで一応聞いてみた。店長の返事は、「はめ込まれている3個のダイヤを見るまでもなく、まず装飾が良くないですね。いいものはこんな装飾はしません。イミテーションですね。よければこちらで処分しときますが、お持ち帰りしていただいても結構ですよ。」だった。

 これは、45年間の密かな期待が見事に粉砕された瞬間でもあった。指輪も含めて、売れなかったものの処分をお願いして、ホクホク顔の女房と一緒に店を後にした。