無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10290日

 昨日、雇用保険申請で停止されていた、待期期間3か月分の年金の振り込み通知が届いた。いろいろ面倒だったが、これでやっとこの問題は解決して過去のことになった。専門家が間違えるということは、本人の勉強不足もあるんだろうが、制度自体が複雑すぎるのかもしれない。やはり何事も人任せにせずに、自分でやるという姿勢が大切だと実感した。

 一昨日から犬の花子がびっこを引くようになった。午前中に風呂場で体を洗ってやっただけで特別なことはしてないが、午後になって左前足の様子がおかしいことに気が付いた。花子は今までに2回、後ろ足が立たなくなったことがあったので、どうなることかと心配したが、左前足に力は入らずとも、びっこを引きながらもトイレには行けるのでその点は楽だった。

 昨日の朝になっても治らないので、小太郎の歯槽膿漏の治療後貰った、痛み止めの薬が残っていたのを飲まして、様子をみることにした。花子は何でもよく食べるので、ドッグフードに混ぜれば、すぐに食べるだろうと安易に考えていたが、なんと、ドッグフードだけをより分けて食べて、薬の粉はほとんど残されていた。舌だけで器用にできるもんだと、これには感心した。残った薬を少しの水で溶かして、それにふりかけをまぶしてやると、大好きなふりかけの誘惑には勝てなかったようで、いやいやながらでも、時間はかかったが食べてしまった。

 昨日が痛みのピークだったようで、窓際の陽だまりで、左足を舐めながら外を眺めていた。それでも人が外を通る度に、窓に飛びついて吠えるといういつもの癖は改められず、安静にしておればいいのにと思うんだが、本能の前には痛みなんかどこかのすっ飛んでしまうんだろう。吠え終わるとまたびっこを引きながら、窓際の定位置に座り込んでしまうんだから、これではなかなか良くならないはずだ。

 昨日の薬が効いたのか、今朝起きるとだいぶ良くなっているようだった。昼頃になって、もう一度だけ薬を飲まそうと思って、昨日と同じ要領でやってみたが、今回は全く見向きもしなかった。犬の学習能力侮るべからずというところだが、ちょうど炒めた牛肉があったので、それに混ぜてやるとすぐに食べてしまったから、肉が旨いという記憶には勝てなかったようだ。

 犬はものが言えないだけに、文句も言わず、じっと我慢しているのを見ているのは辛いもので、良くなってほっとしている。人間と同じで、死ぬまで元気でいてほしいと願わずにはいられない。