無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10258日

 平昌オリンピックも、日本人金銀メダリスト誕生で佳境に入って来て、俄然面白くなってきた。それに釣られてパシュートカーリング、スピードスケート、フィギュアスケートなどは、実況があるときはよく見ている。これは年金生活者の特権だな。ジャンプは、まだ盛り上がりに欠ける頃に、終わってしまったので、高梨選手を見ただけで、後はほとんど見てない。しかし、この高梨選手もあれだけ騒がれていたのに、終わってしまうと、話の話題にも上らなくなってしまった。ほんと、熱狂が去るのは早い。しかも小平選手、高木選手が、その人間性まで含めてこれほど注目を浴びてしまったら、以前のように騒がれることはないだろうが、本人は楽になるだろうな。

 カーリングという競技も、4年に一度とはいえ、見ていると確かに面白い。わしがこの競技を最初に知ったのは、もう60年も昔のことだが、小学1年か2年の頃、隣のSさんの家で見せてもらっていたテレビからだった。当時、夕方7時55分から毎晩やっていた、野村證券提供の国際ニュースという番組で、こんな変わった競技がありますということで紹介されていた。氷の上で石を転がしたり、ブラシで擦ったりして、遊んでいるようにしか見えなかった。

 このニュースの前後で流れる、野村証券のコマーシャルで今でも覚えているのが、百万両貯金箱だ。野村証券が顧客に配っていたもので、木でできた、なかなか立派なものだった。わしも欲しかったが、うちのような貧乏所帯では、証券会社には縁がなかったんだろう、残念ながら手に入ることは無かった。そんなことはとっくの昔に忘れてしまっていた20代後半のある夜のこと、偶然小田急線で、当時第一証券に勤めていた、後輩のW君に出会ったことがあった。

 話の中で、W君は自分の会社と野村證券との違いを嘆いた後で、「○○さんは年代的にあの百万両貯金箱を知っているでしょう。」と言った。そして、実はあの立派な百万両貯金箱こそが、野村証券躍進のきっかけの一つになったんだと教えてくれた。この話が、どこまで本当かは知らないが、W君の話だと、各家庭に配って回って貯金してもらい、一杯になったら投資信託を買ってもらうという画期的なやり方で、商売を大きく伸ばしたということだった。まあ、それだけでは無いと思うが、証券業界でもあの百万両貯金箱が話題になっていたのかと、ちょっと驚いた。

 近頃では、ただで配られる物はといえば、子供だましのような、すぐに壊れるちゃちなものばかりになってしまったが、それに比べて、あの百万両貯金箱はすごかった。製作費は高かったと思うが、たとえ、ただで配るものでも手を抜かないというところに、当時の日本人の気概が感じられる。今の野村證券はどうか知らないが、戦後十数年、復興へ向けて気合いが入っていたんだろう。