無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10216日

 今の生活も3年目に入り、少し肩の力が抜けてきたように感じている。この2年間、あれをしなければいけないとか、これをしなければいけないとか、とにかく自分に負荷を加えてきた。ところが外部の人と接することが多くなり、忙しくなってくるにつれて、できなければ仕方がないと、素直にあきらめることができるし、そのことがそれほど負担に感じなくなってきた。俳句を再開したことも、そのことによって生まれた、余裕の賜物かもしれない。

 仲春の季語に「水温む」というのがある。山本健吉編「最新俳句歳時記」によると、「寒さがゆるんできて、氷も解け、沼や池などの水が何となく温まってきたのを言う。底にひそんでいた魚も動き始め、水草も生えてくるなど、春の動きが感じられてくるのである。」と説明されている。しかし、これを読んでも、ふーん、そんなもんかなと思うぐらいだろう。山本健吉にしてこれだから、やはり季語は感じるもので、説明するものではないのかもしれない。

 わしが中学に入学したのは昭和39年だったが、自転車通学になるので、親父に自転車を買ってもらったり、詰襟の制服や夏の霜降りのズボンなど珍しいこと尽くめで、急に大人になったような気がして嬉しかったのを覚えている。授業も教科ごとに先生が代わるのが楽しかった。そんな中で、国語の授業初日、使っていたのは光村図書出版の教科書だった。その本の1ページをめくると、そこにはインクのにおいと共に、1枚の写真が印刷されていた。それは「水ぬるむ」というタイトルで、田園の中の、木の橋がかかった幅5mくらいの川岸の土手から、釣り糸を垂れている写真だった。

 当時テレビで放映していた「次郎物語」のタイトルバックに出てきた光景とよく似ていた。こちらの方はドラマの内容も関係していたのか、冷たく寂しい感じがしていたが、「水ぬるむ」という写真は、中学生になったという高揚感も相まってか、本当に春の動きが感じることができた。そしてこの時に、「水ぬるむ」という言葉をその意味ではなく、語感として感じることができたのではないだろうか。本来季語とはそういうものではないかと思っている。

 実はもう一枚掲載されていた写真があって、それは桜と大和三山だった。広い田んぼや畑の広がる中に佇む香具山、畝傍山耳成山をバックに、桜の花を写した、それはきれいな写真だった。一度この景色を見てみたいと思っていたが、それから50年たった平成27年11月にやっと実現することができた。残念ながら桜の季節ではなかったが、蘇我氏の邸宅のあった甘樫丘から大和三山を眺めていると、古代の歴史や、あの写真をみて大和に憧れた中学生の頃を思い出して、時のたつのを忘れてしまった。

  そうは言っても、昭和39年にあの本を使った中学一年生が何人いたか知らないが、見開きにあった、この2枚の写真を覚えている人は、おそらく他には誰もいないだろう。我ながら呆れてしまう。