無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10209日

 あまりテレビは見ないし、新聞はとってないので知らなかったんだが、「かけ」に関して、愛媛県職員が首相案件と書いたメモが見つかったとか何とか、「嘘の新聞」が報道したようだ。いつもの、野党議員の来庁希望に、知事がパフォーマンスなら来るなと言ったらしいが、まあよくぞ言ってくれたものだ。ここまで言われたら、実際パフォーマンスなんだから、恥ずかしくて来られないだろう。恥という概念を持っていればの話だが。

 愛媛県の中村知事は、全国の知事の中でもまともな方だろうとは思うが、知事選でも、与野党こぞって推薦させて頂くという感じで、一強体制が長期間続くのもどうなのかな。あと一期くらいで引くのもいいのかもしれんな。最近たまに出てくる加戸前知事は、「かけ」に関しては良いことを言っているが、落下傘で降りてきて知事に当選した時、前の知事を応援した市町村長とは会わないと宣言するなど、小物感丸出しで、さすが三等官庁文科省出身らしいと笑われたこともあった。それでも、過不足のない手堅い知事だったとは思っている。

 さて、4月1日に長男の家の新築祝いをして、久しぶりにみんなで集まることができた。本当は新築ではなく、築50年の古家の改築なんだが、耐震工事を含めた全棟リフォームの威力は凄まじいもので、ほんとうに新築そっくりになっていた。別に住友不動産の宣伝をするわけではないが、それで新築よりも1000万近く安いというのだから驚きだ。

 その家の座敷には、神棚が設置されている。これはわしが特に念をおしたことなので、必要なものは揃えてやらなくてはならない。そこで、今月26日から御祭りするためのお札をもらいに、伊勢神宮までお参りに行くことにした。それを口実にして旅に出たいという気持ちもあるのかもしれないが、2年前の11月に金沢に行って以来だから、間隔があくと少し億劫に感じているのも事実だ。

 以前から、年に一度は伊勢参りをしたいと思ってはいたが、暇があっても金がない年金暮らしでは思うようにはならない。そうこうしているうちに、旅に出たいという気力そのものが失せてくるという負の連鎖に陥ってしまった。まさに今がその状態だ。これではいけないので、今回の伊勢参りが一人旅再開のきっかけになればいいのだが。今年は以前のように、青春18切符の旅にでも出てみるかな。