無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10204日

 親父が民生委員をやっていた頃だから、20年以上昔のことになる。その頃は民生委員は町内会長を兼務できなかったので、その代わりにちょくちょく会計担当を引き受けていた。当時は町内会長を、1人の人が長期間やるのが当然という風潮があり、死ぬまで町内会長という人もいたらしい。親父は民生委員という職務上、わしらには軽々しく近所の話をすることは無かったが、町内会長の件については一度だけ話したことがあった。

 わしが、1人の人が引き受けて長期間やってくれたら、みんな助かっているだろうと聞くと、意外な返事が返ってきた。「いやいや、そんなことはない。長いことやっていると、相談もせずに何でも自分勝手に決めてしまうし、誰もそれに意見できない。実はみんな困っているんだ。今の○○さんも、自分で辞めてくれればいいんだが、かと言って辞めろということもできん。交代でやったほうがええのよ。」

 そんなこともあって、結局、親父らの世代の人が、会長任期2年という決まりを作って今に至っているんだが、この制度は非常にうまく機能している。2年の任期が終われば、次の組が担当するので再任はできない。やりたかっても次にやれるのは4年後になる。この制度だと、わしのように自分から手を挙げてまでやりたいとは思わないが、一度くらい皆さんにご恩返しをしておくかなといった様な、消極的希望者にも機会が回ってくる。

 4月以降、公民館関係の集まりにも出るようになり、他の町内会には辞めない町内会長がまだいるということを知った。中には20年近くやっている人もいるようだ。その人の町内にも、おそらくわしのような消極的希望者もいるだろうが、その人たちには、今の会長が死ぬまで、順番が回っくることはないだろう。わしは初めて参加したので、最年長者が会議でも不規則に自由に発言し、強引にすべてを取り仕切ってるようなやり方には違和感を感じたが、メンバーはほぼ固定なので、他の人はそれがあたりまえになっているのかもしれない。

 それでも本人が元気ならまだいいんだが、町内会長でも、公民館関係でも長という役割についていて、会議に病気で出てこられない人が何人もいるのに驚いた。皆さんなかなか辞めないようだ。単なるボランティアの世話役なのに、そんな肩書でもほしいということかな。やはりこういうおかしな慣習は改めて、より良い制度を次世代に残すのも、わしらの年代の役割のような気もしている。

 そこでまず手始めに、町内会長の任期制を他の町内会にも勧めてみようと思っていると女房に話すと、そんな余計なことをすると、生きがいを奪われた年寄りに恨まれるよと言われた。生きがいだけでしがみつかれても困るんだが。