無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10165日

 愛媛県の中村知事だが、以前このブログで、知事としてやることはきちんとやってきたというような記事を書いた記憶があるが、どうやら最近先祖返りしてきたようだ。わしの記憶によると、この人は、最初は愛媛県議会議員に、確か最年少で立候補して当選したが、一期目途中で投げ出して、衆議院議員選挙に立候補し落選した。この時も、一期も務めずに辞めるという無責任さを、結構批判されていた。

 その後、日本新党ブームに乗っかり、愛媛一区から立候補して当選。日本新党が解散した後、小沢一郎新進党に合流、次の選挙に新進党公認で立候補したが落選。その後は何をしていたのか知らないが、表舞台からは消えていた。毎週市駅前で朝立ちをしてたらしいが、わしは見たことがないので知らない。

 その後、市長選に立候補した時には、歳も若かったし、清廉なイメージで現職を破って当選した。当時の加戸知事が、突然中村を支持すると言い出して、流れが変わったともいわれている。加戸知事は、今ネット上では、筋を通す、さも立派な人のように言われているが、知事になった時には、自分を応援しなかった町村長とは会わないと宣言したほどの、役人上がりの小物感丸出しだったから、この中村支持宣言も、さもありなんと納得するとともに、逆らうと何されるかわからんということで、結構インパクトがあったのかもな。

 知事になってからは、政党色を感じさせない、県民の代表みたいなイメージだった。県政なんかは、何かを強引にやろうとしなければ、普段は誰も気にしないし、積極的に拒否をするということは無い。一時怪文書も出たりしたが、マスコミも騒ぐことなく収まった。あの当時はネットもないし、今ほどマスコミの偏向が知られていなかったから、気にしなかったが、今ならまた状況が変わったかもしれない。

 そんなこんなで、無難にやってきたように思っていたが、ここにきて尻尾を出したという感じだな。本人が国政に出たいのかどうか、日本新党新進党時代の小沢一郎民主党とのつながりは健在のようで、無所属として、今まで築きあげてきたイメージが崩壊してしまった。そして、今回の様な真偽不明の文書を、内容を確認することもなく提出して、あとは知らない国会でやってくれという態度には、一期目途中で県議を放り出して、衆議院議員に立候補した時批判された、その無責任体質を思い出した人も多いだろう。

 次回の選挙に、たとえ無所属で出たとしても、その中身が保守ではないと、今回宣言したと理解した有権者は、もう投票することはないだろう。

 まあ、ローカルな話で、日本の片隅のそのまた四国の片隅の3等県、愛媛なんか、ほとんどの国民は歯牙にもかけないだろうが、政治家というのは上から下まで、どこに行っても体質は同じなんだろうな。いずれにしても、民主主義社会では、いなくては困る存在で、重要な役目を付託されているんだから、県民のため、国民のためにしっかりやってもらいたいものだ。