無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10132日

 今年は6月25日に初めてエアコンを使った。去年は6月18日だったから一週間ほど遅くなっている。他の家庭よりは早いかもしれないが、うちの場合、人間は我慢できても犬が苦しそうになるので、どうしても早く使うようになるのは仕方がない。

 子供の頃に飼っていた、今話題の秋田犬の血が入った「ぺス」は、夏になるとほぼ一日、家の床の下に潜り込んで体を冷やしていたから、今より平均気温は低かったとはいえ、暑いのは苦手だったんだろう。通風口の壊れたところから、体をねじるようにして、器用に潜り込んでいたが、最初見た時は、よくあんな小さい所を通れるもんだと、感心したのを覚えている。

 さて、始まるまで、ほとんど盛り上がらなかった今年のワールドカップも、第一試合での日本チーム大活躍を見て、自分も含めて多くの日本人の掌返しには驚くやら、あきれるやらだが、逆のパターンを見せられるよりはましで、嬉しい誤算とでもいうところだろう。

 そのワールドカップの年に4年に一度中学校の同窓会が行われてきた。40歳の時に始まったから、今年で27年目になるが、わしはここ2回ほどは参加していない。今年もどうしようかと思っていたら、友人のF君から、わしが参加するのかどうか確認の電話があった。F君は一度も参加したことがなくて、出席すれば今年が同窓会デビューになるので、探りをいれてきたんだろう。

 F君とは幼稚園から中学校まで一緒に通った仲で、家も二軒隣りで1歳の時から一緒に遊んでいたという関係だが、大学も勤務先も県外になったので大人になってからは疎遠になっていた。それでも電話で話していると、すぐに昔の子供の頃の関係が蘇ってくるから不思議なものだ。

 F君の両親もすでに亡くなり、こちらには誰も住んでいないので、うちに泊まるように勧めておいた。うちに泊まって一緒に一杯飲めれば、同窓会よりもこちらの方が楽しそうだ。この前にF君の家に泊めてもらって飲んだのが、わしらが30歳の時で、F君がT大学の大学院にいっていた時だから、こちらのほうは実に37年振りになる。

 ちょうど今、3町合同のお宮の夏祭り当番町内会長ということで、初めてお世話をさせてもらっている。近くに生き字引のようなおばあさんがいるので、その人のところでいろいろ教えてもらいながら話を聞いていると、わしの子供の頃の断片的な記憶が、おばあさんの記憶を通して現在につながってくるという、楽しい経験をすることがある。

 あの人のこと、この人のこと、ここ60年の町内の人間模様、それらを楽しく語ってくれるんだから、聞き飽きることはない。女性の情報収集能力侮るべからず!だな。