無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10130日

 ワールドカップのポーランド戦には、いろいろ批判もあるようだが、どうなんだろうな。さすがに、ドイツや北東アジアあたりの国から、卑怯だなんだと言われると、お前が言うかと鼻で笑ってしまうが、正直なところ、その時間の長さに、見ていたわしも、ちょっとびっくりした。もちろんゴールを決めて決着をつければ一番理想的ではあるが、攻撃するということは、相手のゴール前に殺到するということだから、当然一気に反撃される可能性もあるわけで、この試合でも既に何回か経験している。失点は許されないんだから、監督も選手も悩んだことだろう。

 中には、負けている日本チームがこういうことをやるのはおかしい、という人もいるようだ。この人たちは、負けているんだから攻めて点を取れと言いたいんだろうが、その人たちは、何のために今試合をしているのか忘れているんだろう。戦っている選手達の今の目標は、グループリーグ突破という一点だ。であるとするならば、あの、セネガルが一点差で負けているという時点で、ルールの上では、日本は目的を達成していたということだ。外野が何と言おうと、あと数分、消耗した体力で、危険を冒してポーランドと戦う意欲が薄れていくのは当然で、誰もこれを責めることはできないだろう。

 わしは、今回の西野監督をみていて、勝利へのグランドデザインも無いのに、戦争へ突っ走って大負けした日本人が、少しは進歩したのかなと感心もした。あの時も、国民を説得する意志があれば、とる道は他にいろいろあったはずだ。シナ大陸や仏印から撤退とか、すべて交渉事なんだから、時間もかかるし、その間に世界情勢も変わってくる。そもそも国際連盟を脱退する必要など無かった。少しばかり非難されたとしても、首をすくめて通り過ぎるのを待つのもいいし、恭順するふりをするのいい。国家や国民を守るという、その大きな目的を達成するためだとすれば、何も卑怯なことではない。しかし当時の日本人はそれができなかった。

 今回のことは、批判する人もたくさんいるだろうが、結果日本チームは決勝トーナメントにすすんだ。戦術的撤退をいかに非難されようとも、西野監督が描いていた、グループリーグ突破のためのグランドデザインはうまく機能したということだ。目的を達成したチームは、終わったことにいつまでもこだわることは無い。それどころか、80年前にそれができなかった祖先がみていたら、よくやったと喝采することだろう。

 主力メンバーを休ませたということは、当然決勝トーナメントを考慮してのことだろうから、勝負はこれからだが、どこも格上で勝つのは困難かもしれない。迫力ある試合を期待している。深夜の放映も、年金生活者は実質24時間フリーだから全く問題ない。万が一ベルギーに勝つようなことがあれば、うるさい外野も、黙って何も言わなくなるだろう。