無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10114日

 今回の水害が、予測を超える降雨量によってもたらされたということは間違いない。わしもあれだけ長時間の豪雨を経験したことは無かった。豪雨の夜、町内会の用で何軒か会員宅を回ったが、傘をさしても5分でびしょぬれになり、玄関先での話し声が、雨の音でかき消されて聞こえなかったくらいだから、ちょっと恐怖も感じた。そうはいっても幸いなことに、ここらあたりは近くに大きな川も無いし山も迫って無いので、大きな災害に巻き込まれる可能性は少ないのが、取り柄だと言えるのかもしれない。

 わしは昔から、危険性があるとか、うるさいとか問題になっている所に、わざわざ住む人がいるのが不思議でならなかった。田中角栄が絶頂の頃、あの土地が欲しいと思ったら、隣の土地に板金屋を持ってきて、一日中ガンガンやれば出ていくというようなことを話していた。とんでもない話だが、現実はその通りで、そういう場所には普通は近寄らないものだ思うんだが、

 今回の大洲の水害は、被害にあわれた人たちはお気の毒だが、もともとあの辺りは肱川の遊水地の役割を果たしていて、洪水の時には水がたまるようになっているんだと昔から聞いていた。この川の氾濫は有名で、過去何回も大水害に見舞われ、国も治水工事を明治以降100年以上にわたって、莫大な資金を投入して行ってきたが、それだけやっても、今回の50年に一度の大雨に対処できなかったという事実だけが残った。

 更に堤防をかさ上げして、被災地も元の状態に戻ったとしても、今後100年に一度の大雨があった時に、同じことが繰り返されるような気がしている。住んでいる人にもいろんな事情があるんだろうが、住み続けるなら、水害を受けることを前提にした街づくりを考える必要があるのではないだろうか。

 1986年に、この肱川の支流の河辺川山鳥坂ダムを作る計画が立てられたが、下流住民の反対で工事が止まっている。ウィキペディアによると「水没予定地の住民が建設を容認する一方で下流の市民団体などからは反発の声が上がっている。肱川では台風や大雨で何度も水害が発生しており、治水対策が不可欠となっており賛成派からは水位の低下が期待できるダム建設が必要と主張している。一方、反対側からは治水効果への疑問やダムでなく堤防の建設を望む声が上がっている。」となっている。おそらく今回の水害でシミュレーションをすれば、山鳥坂ダムの治水効果があるかないか、はっきりすることだろう。