無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10101日

 昔は貸本屋という職業があり、わしらも週刊誌、月刊誌、単行本なんかを一日5円とか10円とかで借りて読んでいた。5円でも10円でも、当時の子供にしてみたら、決して安い金額ではなかった。少年マガジンとかサンデーとかの週刊誌がでたのが、わしが小学校の1年か2年の時だから、それ以前は少年とか冒険王、少年画報、おもしろブック等の月刊誌がメインだった。発売日になると近所にあったMという貸本屋のおばちゃんが、仕入れた新刊を自転車に積んで帰ってくるのを楽しみに待っていたものだ。

 わしが最後に貸本屋のMに入ったのは、15歳で高校一年生の時だった。同じクラスのY君が、本を返しに行くというので放課後一緒について行った。それから50年たった今では、おばちゃんも亡くなり、そのMという貸本屋も廃業している。後継ぎがいないので、建物は残っているが、入口は閉まったままだから誰も住んでいないんだろう。当然、店内に所狭しと積み上げてあった漫画本も、全部処分されているんだろうと、なんとなく思っていた。

 そんなある日公民館の夏祭りがあり、わしは暑い中、3時から夕方の7時まで焼き鳥を焼き続けた。姿勢が悪かったのか、その晩から右膝が痛くなり、さんざんだったが、いろいろ面白い話も聞けた。ちょうど貸本屋Mの店があった地区の町内会長のTさんが、隣で焼きそばを焼いていたので、話しているうちに自然と貸本屋Mの思い出話になった。

 あのおばちゃんは一日でも返却が遅れると取り立てが厳しかったとか、夏の暑い日に、いつも井戸でスイカを冷やしていたとか、5円10円の商売とはいえ、かなりの客がいたはずだから儲けも大きかったんじゃないかとか、馬鹿話をしているうちに、Tさんがわしに「○○さん、あの家にはお宝が眠っとるんよ。」教えてくれた。

 どうやら、今でも家の中は昔のままで、天井までうず高く積まれた漫画類が所狭しと置かれているようだ。子供が先に亡くなったので、おばちゃんのお姉さんに当たる人が相続したが、老齢のため、それらがほったらかしになっているらしい。Tさんの言うには、あの中には有名な漫画家の初版本とか、全巻揃った全集とか、欲しい人が見たら、いくらお金を払ってでも欲しがるようなものがたくさん残されているそうだ。

 まあ、わしには関係ない話だが、相続した人は間違えてもブックオフなんかに持って行くことがないように願いたいものだ。