無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10096日

 文科省の役人が、自分の息子を東京医大裏口入学させたということがあったが、おかしなことに、野党国会議員が関与していたという事実が出てきた途端に、報道されなくなってきたように感じている。まあ、そんなことは毎度のことなので、別に驚かないが、わしが驚いたのは、この件が報道されるやいなや、テレビに出ているいつものメンバー達が、さも驚いたような様子で、あってはならないことだと、盛んに正義感を振かざしていたことだ。

 しかし、わしでも知っているんだから、いつものメンバークラスになると、恐らくみんな知っていたんじゃないのかな、私立大学の裏口入学なんていうものは昔からあったということは。わしの同級生にも国会議員に頼んで新設の私立医大に入った奴もいたし、寄付金を積み上げて入れてもらった奴もいたらしい。こんなことは公然の秘密で、みんな知っていたから、たぶん親がしゃべったんだろう。悪いことをしているという感覚そのものが無かったんだろうな。

 今回の事件を聞いても、やっぱりなというのが多くの国民の感想だったのではないだろうか。そもそも、大学に対して一番権限を行使できるのは文科省幹部なんだから、それぐらいのことはしているだろうと、みんな薄々は感じていたはずだ。特に出来の悪い子供を持った幹部職員は、その誘惑に打ち勝つことは困難だろう。

 そこをぐっと我慢するのが、高い地位に上るべき人の条件なんだろうが、上りつめたはずの、貧困調査の元次官なんかをみていると、少なくともこの文科省をいう役所は、おそらく上から下まですでに死んでいるということだろう。ノーパンしゃぶしゃぶの時代から変わっていないどころか、ますます悪くなっているような気がしている。

 わしも船乗りで稼いだ金で、東京の私立大学に行ったが、定員は100人くらいだったとはずなのに、5倍くらいいたので驚いたことがあった。聞いてみると、みんな指定された寄付金を払って入学許可証を手に入れていた。この人たちのおかげで、正規の入学者は安い金でいけたということなんだろうな。

 このように、正規の定員分は試験で決めて、あとは寄付金次第で入れますよということを初めから言っておければ、これも必要悪ということで、問題なかったんだろうが、社会がそれを許容しなくなったということかな。車だってハンドルの「遊び」がなければ運転できないように、社会にも「遊び」が必要で、今回の裏口入学の問題も、権限を利用しているから犯罪になるので、例えば退職金を形に銀行から借金して寄付金を払って、定員外の別枠で入学できるシステムがあれば、それほどのことでもないような気がしている。

 世の中決して平等ではないんだから、親が金持ちということも、人生における一つのアドバンテージだと考えれば、金が無くても頭のいい奴は正面から正々堂々と、そうでない奴は金を積んで裏口からこそこそと、ということも私立大学にはある程度は許容してもいいんじゃないのかな。というより、アメリカの禁酒法と一緒で、裏口を無いことにするより、どうせ無くならないんだから、その存在を認めて管理するほうが理に適っているように思うんだが。