無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10088日

 二年前の4月から始まったこの生活も、3年目に入り町内会長を引き受けたことにより、少し様子が変わってきた。他人に生活のペースを乱されること無く、自分だけの完結した世界で、あと約30年を過ごそうと考えていたが、町内会や公民館で近所のいろいろな人たちと接するようになり、これは当たり前のことかもしれないが、わしが過ごした時間のぶんだけ、近所の人たちにもそれぞれの人生があったということを、あらためて実感している。

 この間、公民館の夏祭りの打ち上げで、ビアガーデンに行った。話しているうちにわかったんだが、みんなわしより先輩かと思っていたら、所謂若手と呼ばれている人達の中では、わしが最年長で、しかも今の場所に住み始めたのは、生まれてすぐの昭和26年だったから、公民館役員も含めてわしが一番長く住んでいることになる。これにはちょっと驚いた

 いろいろ個人的な会話をしていると、わしにとっては、今まで~町~丁目と単なる記号にすぎなかったこの地域は、ブラックボックスのようなものだったが、ここに移り住んで、家庭を持ち、子供の成長を楽しみ、親を見送り、また夫婦だけの生活になるという人生双六のサイコロを振り続けてきた、様々な人生があったということに気づかされた。

 そんな中で、Hさんという、わしより1歳若い65歳の人だったが、52歳の時に奥さんを亡くされて、その結果、奥さんが27年間かけてきた厚生年金から1円ももらうことができなかったと憤慨していた。妻の死亡時に夫が55歳以上であることが条件になっているらしい。そういう決まりなら仕方がないとは思うが、現役で働いている間はともかく、60過ぎて年金生活になると、ああ、妻の年金があればと思うようになるんだろうな。

 それからしばらくして、Hさんのそんな話も忘れかけていた頃、週に一度、産直市が開かれるMさんの店で、そのHさんにぱったりと出会った。わしは女房に言われて毎週通っているんだが、会ったのは初めてだった。Hさんもてっきり買い物に来たんだろうと思っていると、Hさんの方から話かけてきた。「じつはここは女房に実家で、週に一度店の手伝いに来とるんよ。」

 この店はわしのおふくろも昔から利用していたので、主人のMさんもおふくろのことはよく知っていた。最初行ったときも、「ああ、あのYさんの息子さんかな。」といろいろおふくろの話をしてくれたことがあった。そのMさんがHさんの義理の母親になるということは、Mさんは実の娘を亡くしていたということになる。明るく穏やかなMさんに、そんな悲しい過去があったということをこの時初めて知った。

 購入したパンと野菜類を下げて帰る道すがら、歩いて3分ほどしか離れていないが、今まで全く知ることのなかったMさん、そしてHさんの過ごしてきた人生の一端に少し触れたような気がして、なんとなく親しみを感じる自分がいることに気が付いた。