無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10083日

 夕方、送り火を焚いて今年のお盆も終わった。悲惨な結果となった大東亜戦争終結の時期と重なったため、お盆がより印象的な行事としてとらえられるようになったことは間違いない。しかし、敗戦でも、終戦でもどちらでもいいが、意識の上では、もうそろそろ戦争から切り離してもいいのではないかと思うようになった。

 当事者はほとんどいなくなっているのもかかわらず、当事者のことを思って作られた様々な救済策は、そのまま残されてその一部は利権化しているともいわれている。国のために戦って戦死した人達への感謝の気持ちを忘れることはないが、すべてをリセットして、8月15日終戦という考え方から脱皮する必要があるのではないか。

 昨夜は女房が、お盆で施設から帰ってきている身障者の兄の世話するために、実家に泊まりに行って留守だったので、犬と一緒にテレビを見ていると、NHKでノモンハン事件についてやっていた。どうせいつもの日本が悪いという捏造番組だろうと思ってみていると、その通りだった。NHKは期待を裏切らない。すぐに消そうかと思ったが、ノモンハンの景色はめったに見えるものではないので、中身はともかく、映像には興味をそそられた。

 最初に司馬遼太郎の話が出てきた時点でこりゃダメだとわかった。わしも昔は司馬や五味川にきれいに騙されていたこともあったが、ソ連崩壊で出てきた向こうの資料が手に入るようになった今でも、こんなドキュメンタリーを騙った創作が通用すると思っているのが痛々しい。これで金をとるんだから、電波やくざと呼ばれても仕方がないだろうな。

 上層部に責任があると語らされていた、100歳を越えた元兵隊の談話なんか、ノモンハン事件を語る上では、言っては悪いが何の価値もない。これを延々と流す意図はなんなのかな。この手の番組は、資料を提示して事実だけを淡々と伝えてほしいものだ。製作者の薄っぺらい思想や倫理観などに興味はない。

 ノモンハンでちょっとアツくなってしまったが、その口直しに、ユーチューブで勝新太郎の「兵隊やくざ」を見た。今はこんな映画はできないだろう。昔は伴淳アチャコの「二等兵物語」とか兵隊の社会をコミカルに描いた映画があったが、軍隊の理不尽さを体験している、本当の戦争経験者が中心の時代だったからこそ通用したのかもしれない。勝新太郎は代表作座頭市があるが、わしは大宮二等兵、有田上等兵の「兵隊やくざ」が一番面白い。